2009.01.09 Fri
甘露なるは水の味 四の巻
「涸れた…?」
と、抑揚のなく聞き返したのは
水気無く、茶に変色した植物の多い中庭に設えられた石造りの卓を
囲んで椅子に座り、長老から語られた真実はあまりにも絶望的だった。
梅蘭と、
泉は既に枯れ果ててこの世には無いという。
「まだ、わたくしが若い頃…、七十年ほど前になりますかな。
この村は他所に類を見ないほど、貧しいところでした。それでも村人は
懸命に田畑を耕し、笑顔を絶やさず、神を崇め、粗末ながらにも祀って
暮しておりました。それが天に通じたのでしょうかな。ある日、山の中の
何もなかった場所に、泉が現れたのです」
話は島に現れた土地神の言った通りに進む。長老は豊かだった頃を
思い出しているのか、何かに憑かれた面持ちで、滑らかに語り続けた。
「湧き出したのではない。今まで何もなかった平地に突如現れたのです。
飲めば身体は健やか、病を癒し、正に神から与えられた聖泉でした」
底が見えるほどに透明に青く澄み切り、水面は鏡の如く空を映し出し、
その美しさはまるで魚が空を飛び、鳥が水中を泳ぐかのように。
しかし、美しい泉は諸刃の剣だった。
「神は、我々を試したのかもしれませんな…。泉に呪いを解く力があると
知ったときから、人々は少しずつ、少しずつ、狂い出しました」
呪いをかけられる理由は様々ではあるが、特に多いものは、地位や
財産に関することだった。
例えば金を溜め込んだ年寄り、出世した官僚、一国の王。
彼らには地位があり、金があるが、それが汚れた手段で手に入れた
ものならば確実に怨まれ、清いものであれば妬まれて、呪われた。
土地神が言っていた、呪う側の病の心だ。
「あー、なるほどねえ。呪われた連中の足元を見て、お前ら、高値で
水を売りつけるようになったって訳か」
窮奇の棘のような鋭い言葉に、長老は心痛の面持ちで頷いた。
「最初は、罪無く呪いを受けた者には無償で水を分け、罪のある呪いを
受ける者には決して与えてはならぬと決めていました。 しかし一度…、
たった一度均衡が崩れると、あとはもうただ坂道を転がり落ちるのみで
ございました……」
「……罪のある呪いを受ける者ほど邪道で解決をしようとする。つまり、
金払いが良かった…、と…」
渾沌の言葉は静かだが、窮奇の棘の言葉よりも、鋭い凄みがあった。
瞳の解らない細い眼が愚かな罪を重く非難しているように見え、長老は
ぐっと眼を瞑ると軽く頭を振る。
「仰る、とおり…。働かずして大金が入る。千の努力、万の苦行に対し、
堕落するのはほんの一瞬。針の先程の、しかし甘露なる誘惑。無論
このわたくしも大罪人です。酒を浴び、淫に耽り、神から授かった泉で
手に入れた金を湯水のように使い、神を祀ることを忘れてしまいました。
ときに酔った勢いで廟を壊し、神像を踏みつけたことすらあるのです」
思いも寄らぬ告白に、梅蘭は弾かれるように、椅子から立ち上がる。
長老は項垂れたまま、梅蘭を見ることが出来ぬようだった。
窮奇と渾沌が無表情にこちらを見つめてきていたが、梅蘭の目線は
長老から離せなかった。口の中がからからに乾き、微かに咽喉が動く。
悔やんでも悔やみ切れない苦しげな長老の心に嘘は無い。
だが、それは人として決してやってはならぬこと。
神として決して許してはならぬことだ。
どうすればいいのだろう。
こんなとき、兄や、
「
返った。視線を落すと、愛愛と
確かに大人たちは愚かだったかもしれない。だけど、この子たちに罪が
無いのもまた確かだ。 梅蘭は静かに笑って椅子に座りなおし、愛愛の
頬を撫でると膝の上に抱え上げた。
「ごめんね、愛愛、蓮蓮。何でもないの」
優しく語りかけると二人はやっとほっとしたように、笑顔を見せる。
長老は、改めて梅蘭に深々と頭を下げた。
「…ひとつ、聞きたい」
渾沌が再び口を開いた。重みのある喋り方をする渾沌だが、低い声は
人を落ち着かせる。顔を上げた長老の眼は穏やかさを取り戻していた。
「何でございましょう」
「それだけ悔いているのならば、何故、廟を元通りにしない…?」
「え?」
渾沌の言葉に声を返したのは、問われた長老ではなく、梅蘭だった。
慌てて長老の方へと顔を向ける。確かにそうだ。寂れた廟を昔どおりに
飾り立てることは無理だとしても、地を掃き清め、埃を払うことは出来る。
そもそも、村が貧しかった頃は、粗末な祀り方しかできなかったはずだ。
貧しくとも、心を尽くす。 だからこそ、神は応えて泉を与えたのだ。
「絢爛に飾れずとも清めることは出来る。旗は繕い、神像は直すことが
出来る。供え物が無くとも祈りを捧げることは出来る。そうすれば、また
神は応えるかもしれない。なのに、なぜ、それをしない?」
「そ、それは……」
長老は再び眼を泳がせ、言い淀んだ。
言いたくないのか、言えないのか。しばし返事を待ったが、中々答えが
返らないことに窮奇の痺れが切れた。
「ああ! じゃあ、この国の水が涸れだしたのはいつ頃なんだ?」
湿気た場の空気が気に入らないのか、舌打ちをしてから些か大きな
声を張り上げる。長老は慌てて返事を返した。
「さ…、三年前でございました。最初に泉の水が無くなり、次いで池が
干上がり、最終的に河が涸れました。…ただ、それは、とある妖怪の
仕業でございます」
「妖怪?」
「は、確か名を
「野狗子だァ?」
梅蘭に次ぎ、今度は窮奇が立ち上がる番だった。
● 名称・振り仮名補足 ●
梅蘭 = メイラン
窮奇 = きゅうき
渾沌 = こんとん
銀象国 = ぎんしょうこく
香霞 = シャンシア
小姐 = おねえさん
愛愛 = アイアイ
蓮蓮 = レンレン(蓮はlianでリェンリェンと言う方が音が近いが、レンに省略)
野狗子 = やくし
梅蘭 = メイラン
窮奇 = きゅうき
渾沌 = こんとん
銀象国 = ぎんしょうこく
香霞 = シャンシア
小姐 = おねえさん
愛愛 = アイアイ
蓮蓮 = レンレン(蓮はlianでリェンリェンと言う方が音が近いが、レンに省略)
野狗子 = やくし
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