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お知らせ

 
『紅と白の凶華』は長編第一話の最終回を迎え、現在は短編、中編、
たまにイラストの更新中です。一番上が最新のものです。

このお知らせ記事はFC2ブログの都合上、一カ月毎に差し替えられます。
前回に拍手を入れてくださった皆様、ごめんなさい。




華簪 〜華王は朋友に似て 〜 十七の巻1.27更新
賜り物絵 』にUMEZOさんとウヤさんの絵をUPしました 1.26更新
華簪 〜華王は朋友に似て 〜 十六の巻1.15更新
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華簪 〜華王は朋友に似て 〜 十四の巻
華簪 〜華王は朋友に似て 〜 十三の巻

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紅と白の凶華 〜 終章 〜

  
 荒々しい河の音だけが辺りに響き、沈黙が続く中、口を開いたのは
梅蘭(メイラン)の方だった。
「あのね烏飛(ウーフェイ)、幽鬼になった村の人たちが冥府に行っているはずなの。
念のために迷ってる人がいないか、調べてもらえる? あと、できれば、
差しさわりの無い程度でいい。冥王様たちに…、口添えをお願い」

 少しでも、綺麗なところに行けるように。
 彼らの苦しみを汲んでもらえるように。
 今度こそ、子供達が幸せになれるように。

「承知致しました。必ず、出来る限りのことは。……梅蘭様」
「なあに?」
「蜃の呪いだけならば、数年で解けるはずです。天に戻られる気は…」
「ないわ」
 きっぱりと言い切った。意思は、固く、強い。
「ならば、これからどちらに…」
 今更、兄のところに行くとは思っていないのだろう。烏飛は切なげに
眉を顰め、梅蘭は満面の笑みを見せる。
「ん? 宝探しよ」
 言って、梅蘭は髪をなびかせるとふわりと河を飛び越えた。
「烏飛、これからも香霞(シャンシア)のそばにいてあげてね」
 軽い足取りで梅蘭は村の方向へと歩いていく。烏飛は丁寧に拱手し、
梅蘭の姿が見えなくなるまでそこで礼を尽くしていた。






「梅蘭、なあ、梅蘭! 何やってんの?」
「何って」
 そっちこそ…と、言おうとして、梅蘭は口をつぐんだ。完全に崩れさり、
わずかな欠片しか残っていない長老の屋敷の前で、窮奇(きゅうき)はさっきから
何度も行ったり来たりしながら往来を走っている。多分、蓮蓮(レンレン)と競争を
しているつもりなのだ。
「…種撒き。愛愛(アイアイ)がくれた袋の中に入ってたの。多分、何かの華だと
思うんだけど」
 土を被せ、渾沌(こんとん)が汲んできてくれた水をかける。
 きっと、華は咲く。そう信じる。一粒万倍となるように。

 ふうんと言いながら、再び窮奇が走り出す。翡翠の首飾りが消え去り、
残った金の輪がじゃらじゃらと鳴り、左腕に付けられた紅い石の腕輪が
揺れる。時折、「やっぱりオレの方が速いな」などとぶつぶつ言っている
窮奇に苦笑しながら、梅蘭は空を仰いだ。厚い雲に覆われていた空が、
いつの間にか晴れ渡っていることに気付く。
 青い空に小鳥が舞った。小さな薄桃色の、羽根。
「え……?」
 見間違いかと瞬きをする。だかそれはやはり桃色の小鳥。
 遙か昔、梅蘭の元から飛び去った小鳥が、あのときと変らぬ姿で空を
舞っていた。思わず手を伸ばすと、ぱたぱたと指にとまり、小首を傾げ、
愛らしい声で「メイ、ラン」と鳴く。
「お前…!」
 小鳥は梅蘭を見捨てたわけではなく、朋友の願いを叶えるために姿を
消していたのだろうか。喋ることが出来ぬまでも、せめて友の名を呼べる
ように。言葉が出ない梅蘭の後ろから、物見高い窮奇が覗きこんでくる。
「何、このちっこいの。あいて!突っついた!」
 小さいと言われて腹を立てたのか、小鳥は窮奇の頭上まで舞い上が
ると、ぐるりと旋回し、額を一突きする。小さくても尖ったくちばしは痛い。
騒ぎながら窮奇が手を振り回すと小鳥は器用にそれを避けて、渾沌の
耳の上にちょこんと止まった。窮奇が手を伸ばすが、渾沌の方も、耳を
掴まれてははかなわないと身をかわす。…なんとも、のどかな光景だ。


 右に窮奇、左に渾沌。
 ふたりが傍らにいるだけで身体が大地に馴染む。最初の嫌悪感は、
完全に無となり消え去った。
「あ…、そっか…」
 初めて彼らが身体に入ったときに、感じたもの。
 情け無さと、敗北感と、壊れた自尊心と、もうひとつの、小さな、何か。
あのときは解らなかった、その正体。

 あれは安心感だったのだ。
 ふたりがそばにいるという心強さ。孤独を消し去ってくれる炎と風。
 生きていて嬉しく、良かったと、心から思う。
 この世には小さくても必ず希望はあり、望めばそれは大きくなる。
「何?」
「内緒」
 嬉しげな顔を見せる梅蘭を不審に思ったか、尋ねてくる窮奇を笑顔で
はぐらかすが、渾沌だけは解ったように静かな笑みを見せている。
「渾沌は、何でもわかっているのね」
「…そうか?」
 ふたりの様子に、ひとり置いていかれた窮奇がふくれっつらを見せる。
「何だよ、渾沌ばっかり!」
 拗ねた子供のような態度を見せ地団太を踏むが、渾沌は我関せずと
そ知らぬ顔だ。荒々しかった窮奇の口調も、重々しかった渾沌の態度も、
初めて出会った数日前とは全く変っている。きっと、これがふたりの本性
なのだろう。

 天に戻れず、この下界にてたった独りで枯れていくはずだった運命は、
どこで変ったのだろうか。今、自分のそばには、生まれて初めての友と、
一番新しい、ふたりの友がいる。
 小鳥は渾沌の耳から飛ぶと梅蘭の肩に止まった。柔らかな頭を頬に
擦り付けてくる感触を心地よく感じながら、梅蘭は小鳥に話しかけた。
「お前、桃色だから名はタオよ。タオは桃。タオは道。ほら、真っ直ぐに、
ずうっと続く、道よ」
 梅蘭の肩の上で、タオは小鳥らしくぴぴと鳴く。


 天は長く、地は久し。
 天には永遠の生命があるが、地にとて悠久の生命がある。
 地はいつでも穢れている。
 人は怨み、妬み、苦しみ、嘆き、そして生まれたときから死に向って
歩くからだ。
 でも、だからこそ人は願い、努め、足掻き、笑い、今を懸命に生きる。
 そして神も、妖怪もまた同じ。


「ねえ、どっちへ行く?」
「腹減ったし、飯屋が近い方!」
「地下にでも…」


 ふたりの答えに声を上げて笑いながら、梅蘭は真っ直ぐに、一歩を
踏み出した。



                      2009.4.14 紅と白の凶華《完》


≫ 振り仮名・補足

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切れる糸 結ぶ糸 七の巻

 
 香霞(シャンシア)の忠実なる側近は相変わらずの痩身で、どこか中性的な姿だが
鋭かった黒い目には今や深い苦悩が浮かび、些かやつれた感じがした。
「よくぞ、ご無事で…!」
 烏飛(ウーフェイ)梅蘭(メイラン)の前まで来ると、岩の上に頭をこするようにして、平伏する。
梅蘭は慌てふためいた。当たり前だが、こんな烏飛を見るのは初めてだ。

「や…、やだ! 立ってよ、烏飛! お願い、顔を上げて!」
「本来ならばこれが貴女への正しい礼にございます。ですが今更貴女に
どう詫びればよいのか。真君(しんくん)に、どう顔向けすればよいのか…!」
 涙を流しているわけではない。だが、泣いているのだと、梅蘭は悟った。
「…長老の夢枕に立ったのは、あなたで間違いなかったのね」
「は…。謀りましたこと、平に…!」
「助けてくれたのに謝らないで。いつもの烏飛らしくないもの」



 地から戻った香霞に呼び出された部屋で、狂を含んだ主の眼を見た
烏飛は息を呑んだ。思わず隠すことも忘れて不躾な表情を表にしたが、
そんな烏飛の態度を見ても香霞は咎めることすらなく、どこか遠くを見た
ままくすくすと笑いを漏らしている。 異様に、興奮している風に見えた。
いや、していたのだ。
 欽命を授けられ場を辞した烏飛の後ろから、香霞の乾いた笑い声が
追って来る。ぞっとするものを感じ、慌てて下界に降りた烏飛は、村に
梅蘭がいることを知り、蒼白となった。
 本来は清浄な梅蘭の気の中に、強い呪いと穢れが混じっている。
 恐ろしい何かが起こった。 起こっているのだと、理解した。
 滑稽なほどに焦りながら諸々の土地神を呼び出すと無理矢理に話を
聞きだし、呪いの根源となった島へと向う。島の土地神は地べたに頭を
擦り付けて告白し、烏飛は全てをを悟った。

 数日前のあの日、梅蘭の屋敷でどんな話があったのか。
 香霞がどんな言葉を梅蘭に囁いたのか。
 良からぬ予感に梅蘭に釘は刺したが、まともに考えれば心から信頼
している友の言葉に、疎ましく思われている男の忠告が敵う訳が無い。
 愕然とした。
 香霞のやったことには非がまるで無い。村への罰は正当なものであり、
梅蘭が下界に降りたのはあくまで自分の意思だ。しかし。だが、しかし。
(なんという…、なんということをなされたのか…!)
 膝が折れ、烏飛は地に崩れると項垂れた。握り締めた拳の中で掌に
爪が食い込み、血が滲む。今から村は盗賊らに襲われる。無論天女で
ある梅蘭が人間相手にどうにかなるとは思えないが、もし村人らが改心
しなければあとに来るのは極刑。嵐の龍が村を襲う。そうなれば梅蘭は
穢れた泉に沈められ、呪いは成就してしまうのだ。
(行かねば…!)
 烏飛に出来る残されたことは、長老の夢枕に立ち、嵐の龍が村を襲う
前に梅蘭を山へ逃がすことだけだった。


「公主の心を諌めることも、静めることも、癒すことも出来なかったのは
臣下としての私の罪にございます…!」
 烏飛は昔から解っていたのだ。香霞が真君に想いを寄せていたこと。
梅蘭に対する、黒い心があったこと。だが立場上、あからさまに梅蘭を
庇うことは出来ず、故に梅蘭に冷たく厳しい態度を取り、香霞と出来る
だけ接触させぬように気を配った。それは梅蘭を守り、また香霞に罪を
犯させないためだった。
「下界に降りるな、我々にも拘るなって、散々あなたに言われたのにね。
本当に、どこから謝ればいいのかわからないわ」
「いっそ貴女が私の所業を怨み、真君の妹君であるという立場を利用し、
私を貶めてくださっていたら、どんなに気が楽だったことか…」
 だけど梅蘭はそれをしなかった。誰も、憎まなかった。
 今も、誰も、憎んではいない。
「信じてください。此度の盗賊の襲来、これが最後の難だったのです。
三年の間の苦難に耐え、村人達が心を入れ替えたのなら公主は村を、
村人を救うようにと仰った…!」
「わかっているわ。香霞は、苦しんだの。悲しかったのだと思う」
 神故に慈悲はあり、望みも持っていた。しかし待っていたのは過去の
贅沢を忘れられず、不満に不満を募らせ、自らの命を捨てる発言をした
村人たち。そしてあの言葉が全てを決めた。


 死んで冥界に行ったら、思い切り神を罵倒してやれたのに ―――!


 人は、何も、変っていなかった。香霞はやはり裏切られたのだ。



「…ねえ、烏飛は香霞から何と命を受けたの?」
 突然の梅蘭の問いに烏飛は戸惑いながらも記憶を探る。
「『盗賊に村を襲わせ、結果が善なら放免、悪なら極刑とせよ』…、と」
 聞いた梅蘭は小首を傾げて、微かに笑みを浮かべた。困ったような、
寂しいような、それでいて烏飛の答えを聞く前から悟っていた笑みだ。
「それね、勿論村人のことではあるけど、…わたしのことでも、あったん
だと思う」
 香霞が梅蘭を疎んだのは、決して兄のことだけではないのだ。
 罰を与えるべきか否か、真剣に考えていた香霞に、梅蘭は無条件に
救ってやれと言った。無責任で軽々しい発言は神として深く悩んでいた
香霞には許せなかっただろう。 香霞は梅蘭に確かめさせたかったし、
自分も確かめたかった。村の人間が、どう、転ぶかを。良い方に転べば
梅蘭の言うとおりと認められたのかもしれない。だが、結局は悪い方に
転んだ。ならば。
 梅蘭に思い知らせたかった。あなたは、甘いのだと。
 その甘さが、優しさが、私を苛立たせるのだと。
(本当に…、香霞は間違ってない。わたしは、愚かだった…)

 結果として二度目の呪いは作られ、しかし烏飛の働きにより、梅蘭は
呪いに穢されることを免れた。だが本性の梅木から離れた命は消えかけ、
それを救う為に、窮奇(きゅうき)渾沌(こんとん)は梅蘭とひとつになることを選ぶ。
 香霞の思惑は違ってしまったのか、それとも結果としては良しなのか。
この顛末に、彼女は満足しているだろうか。それとも―――


「わたしは今でも香霞のこと、好きよ。それから、人も。この地上も」
 嫌われても、嫌わない。難儀をしている人間がいるのなら、助けたい。
馬鹿なことだと香霞に疎まれたとしても、しかたがないのだ。なぜなら
それが、自分なのだから。
 梅蘭は胸元から一枚の札を出して烏飛に差し出した。
解呪(かいじゅ)阻符(そふ)……」
「これを見たとき、香霞は言ったの。早く仕上げた方がいいって…」
 『解呪詛符』は、呪いを跳ね返す霊符である。香霞は梅蘭を憎む心の
片隅で思っていたのではないだろうか。梅蘭に対する呪いの気持ちを
跳ね除けてほしいと。それは醜く黒い心に蝕まれ、苦しむ香霞の助けを
求める本心だったのかもしれない。

「…烏飛」
「はい」
「香霞、今頃泣いてないかな……」
 忠実なる側近は、はっとして身を震わせた。命を下された烏飛が立ち
去る後ろから聞こえてきた、笑い声。嬉しげに、楽しげに、しかし掠れる
ような空しさを含む、笑い声。 泣きながら、笑う声。
「香霞はいつも頑張ってた。立派な公主で、立派な神女であるように。
凛としてて、弱みを見せず、回りからは気高くも厳しいお方だと見られて
いたかもしれない。でも、香霞は、本当の香霞はとっても弱くて、優しくて、
泣き虫なの。だから、守ってあげなくちゃ駄目だったのにね…」

 梅蘭は泣きそうな顔で笑う。
 だが涙は見せず、思い出の符を大切に胸元にしまいこんだ。


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| 八章 切れる糸 結ぶ糸 | 00:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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切れる糸 結ぶ糸 六の巻

 
 正に、決河の勢い。
 河の上流、下流に関係なく、梅蘭(メイラン)たちの立つ場所から水はごうごうと
音を立て、左右に広がっていく。これが、あの僅かばかりの水。そして
子供たちの心の大きさ。梅蘭は潤む瞳でただただ河を見つめ続けた。

 やがて巻物から湧き出す水が尽き、目の前は豊かな流れの河となる。
掠れた茶色が目立つ山や河原にもまた緑が戻るだろうか。香霞(シャンシア)は雨を
降らせてくれるだろうか。そうすれば、誰もいなくなった村にはまた人が
住み始め、神に感謝して慎ましやかに生きてくれるのではないだろうか。
 そうなってくれると、いい。そうなって、欲しい。
 大河を見つめて、梅蘭は安堵の息を吐いた。上半身がぐらりと揺れる。
足元がおぼつかない。がくがくと膝が笑う。息が苦しい。光が届かない。
目の前が、暗い。
「おい、どうした!」
 岩場に崩れ折れたはずだが、どこか柔らかく、暖かいのは気のせいか。
両側から誰かに支えられているのだろうか。頭の上から振ってくる、今は
もう聞きなれた声。頬に触れてくる指先。 ああ、あの、紅と白のふたりだ。
梅蘭はゆっくりと眼を開けた。

「ふたりの厄は…、もう満期…。行って……」
 掠れた声で告げる。今までのような陰の気による疲れなどではない。
これは、きっと、終りの合図だ。
「おい、梅蘭! 水か? 待ってろ、今汲んでやるから!」
 梅蘭の身体を渾沌(こんとん)に預け、窮奇(きゅうき)が立ち上がろうとする。しかし梅蘭は
窮奇の手を力無く握り、それを制した。無理に笑顔を作るが、どうしても
寂しげな顔にしかならない。目が合った窮奇の顔が子供のように歪む。
「わたし……、ね…、本性は、天にある紅白梅(こうはくばい)の木…なの…。本体から
離れたら、長くは持たないみたい…」
「……知らなかったのかよ」
 顔を歪めたまま憮然として聞く窮奇に、梅蘭は困ったように笑い小さく
頷く。まさか、天生まれが下界ではここまで脆弱だとは思わなかった。
「香霞も、知らなかったんだろうなあ…」
「何故、解る…?」
 遙か遠くにいる友の顔を思い出しているのか、天を見つめ呟く梅蘭を
上から渾沌が見下ろし、問う。
「知ってたら、わたしを天から堕とすようなこと…してなかったと、思う…」
「お前、本当に…、本っ当の馬鹿だな!」
 死にかけている者に向って窮奇は本気で怒鳴り、そうね…と、言って
梅蘭はやはり笑った。兄たちに不幸を詫びることも出来ずに逝くことを
心残りに思いながらも、身体からは力が抜け、瞼は重くなっていく。
 天で安穏と暮らしているときには、概念の無かった死。はるかなる昔、
大切な友を失ったときに感じた喪失感。あの時は、兄が救ってくれた。
だが今はその兄もいない。人は死んだら、冥界へ行く。だけど自分は
一体、どこへ行くのだろう。このまま朽ちて崩れて流され、無になって
しまうのだろうか。それは、少し、

(寂しい…かな…)

 そう思う。
 それなのに、最期の最期でどうして脳裏に浮かんでくる顔が兄でなく、
香霞でも無く、紅と白の妖怪たちなのだろう。
「起きろッ!」
「ひゃあっ!」
 冷たい感触に、閉じかけていた意識が無理矢理に引き戻された。
 それでも身体は起こせず、渾沌の腕に支えられたまま顔を上げると、
不機嫌極まりなく眉間に深く皺を寄せ、元々鋭い眼を更に吊り上げた
窮奇が見下ろして来ている。大きな両手の、紅い爪の先から滴る雫。
掬った水を、窮奇は梅蘭の頭からぶちまけたのだ。前髪から顔に水を
滴らせながら、梅蘭は眼を丸くする。
「な…、何す…」
「華には水だろ、ほら、しおれてんじゃねえよ!」
 梅蘭の手首を掴むと、窮奇は小さな右手に自分の長い指を絡めた。
左の手には、渾沌の指が絡まる。

「ちょっ…」
 止める間もなく、ふたりの形が炎となり、風となり、梅蘭の身体の中に
消えていく。その途端飛びかけていた意識がはっきりと覚醒し、身体の
奥底から力が漲ってきた。ふたりが力を注いでくれたのだ。
 岩場に取り残された梅蘭は呆然としつつ、それでも自らの力で自らの
身体を支えられていることに気付く。ふたりの生命力を借りれば確かに
消えずに、死なずにすむだろう。 だが、これは。 これでは……!
 誰もいなくなった場所で、梅蘭は身体の中のふたりに叫んだ。
「た…、確かに主となる契約はしたわ!でもそれは急場凌ぎであって、
それに、それに、野狗子(やくし)が言っていたじゃない!宿主であるわたしが
死ねば、あなたたちは今すぐに自由だって!それなのに、これじゃ…」
 天に戻れない梅蘭の命を地で保つためには、窮奇と渾沌は永遠に
梅蘭から離れることは出来ない。

「これじゃあ、折角逃れた二度目の呪いを、自分から受け入れたと同じ
じゃないの!なのに、どうして!」

 愚問だと解りつつ、梅蘭は叫んだ。そんなことは解っている。
 ふたりは、真っ当に生きるものを殺さない。
 そして今となっては、もう誰も、殺さないからだ。
―― 大地を這いずり回っていれば、いずれ、天に戻れる日も…、来よう
―― それにオレらも宝探しがあるしさ
―― お前がいれば、些か…、骨の折れる王家などに入るも、容易い
「何よう……。わたしを、利用…するの?」
―― 我らはお前を、使う気は無い
―― 使われる気もねえ。五分五分なら協力しあうのが当たり前だろ

 自分の中で、紅い髪をの妖怪が明るく笑う。
 梅蘭は泣き笑いのような顔でくすくすと笑い声を漏らし、子供のような
仕草で潤む瞳をぐいと拭うと、ゆっくりと立ち上がった。
 これは、ふたりの意思。受け入れた、自分の意志。
 ならば、呪いなどではない。

 重かった身体は、嘘みたいに軽い。身体の中にあの大きなふたりが
入っているというのに軽いというのは奇妙だと思いながら、すっかり乾き
きった服をぱたぱたと叩く。そのときだった。
 驚き、慌てて振り返る。
 村の人間はもう誰もいないはずなのに、名を呼ばれたのだ。
 
烏飛(ウーフェイ)……!」

 そこにいたのは、香霞の忠実なる側近だった。


≫ 振り仮名・補足

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切れる糸 結ぶ糸 五の巻

 
 地にうつ伏せに縫い付けられた野狗子(やくし)は、微塵たりとも動けなかった。
動けなければ殺される。相手は元来の力を取り戻した窮奇(きゅうき)渾沌(こんとん)なのだ。
運命は決まったも同然だった。
 それでも無様な黒い獣は諦めきれずに、呪いの言葉を吐き続ける。

「くそっ、くそおぉ!てめえらぁ、何だってあんなとこにいやがったんだ!
村の馬鹿共と一緒に嵐の龍に巻き込んで、泉の中に落としてやる予定
だったのによおぉぉ!」
「…え?」
 野狗子の言葉に梅蘭(メイラン)は思わず声を出した。もし山の上にいなければ、
それこそ本当に毒の泉に落されていたかもしれないと言うのだろうか?
梅蘭は野狗子に問うべく足を踏み出したが、渾沌は元の状態に戻した
巻物でそれを遮った。野狗子の口元からは、今だ白い毒が漏れている。
梅蘭は大人しく足を止めた。
「殺すんなら、さっさと殺しやがれ!どうせ妖怪は死なねえんだ。百年か、
二百年の後には必ず蘇る。ああ、必ずだ!そのときは、そのときこそは、
おまえら全員ぶっ殺―――」

「なぁ、野狗子」

 からりとした声音に飲み込まれたかのように、野狗子はぴたりと怒鳴る
のをやめた。うつ伏せたまま、面白く無さそうに顔だけを上げる。
 声の主は窮奇だ。目の前にある岩に縞模様のある片足を立てて座り、
上から野狗子を見下ろしている。如何にも面白がっている不遜な態度に
べっと唾を吐き、それでも野狗子は返事をした。

「…なんだ」

「そういやさぁ、これ、お前がくれた情報だったよなあ」
 窮奇は首から下げた翡翠の首飾りを外すと、自分の目線に持ち上げ、
ゆらゆらと揺らしながら野狗子に向けて差し出した。
「それがどうした。妖怪に金なんざ必要ねえよ」
 宝を持つ盗賊らの情報は香霞(シャンシア)からではなく、自身で仕入たものだ。
市場で人間の脳味噌が買えるなら別だがな…と、野狗子は顔を歪める。
「ああ、それそれ、それな。金を無限に生み出してくれる翡翠の首飾り…
なぁんて言い伝えられてたけどさ、本当は違うんだよ」
 窮奇の翠の瞳の中心に、紅い炎が揺らめいた。
「こいつぁ、うぜえと思った奴を吸い込む首飾りなんだ」
「………な…ん、だって?」
 聞き間違いか。聞こえづらかったのか。窮奇が面白げに言った言葉が
理解できなかった。金を出すのではなく、吸込む?何を?うざい、奴を?
 …確かに、そんな宝の話を聞いた事がある。敵を吸込む浄瓶に紅瓢(べにひさご)
吸い込まれたものはいずれ血水となり、溶けて消える。
「ま、さか…!」
 瞳の無い眼を限界まで見開いて、動かぬ身体をじたばたと動かすが、
梅蘭の霊符に縫い付けられた身体は、びくとも動かない。
「天の紅瓢よりゃあ威力はねえんで、相手の動きをきっちり止めなきゃ
ならねえ。けどな、これは瓢箪と違って全く猶予がねえ。吸込まれると
同時に石に融けて一体になっちまうんでな」
 実に、愉快そうに窮奇の眼が細められた。
「だけど、使い方は紅瓢と同じだ…」
 言いながら窮奇は首飾りを左右に揺らす。使い方と聞いて、野狗子は
青ざめた。名を呼ばれた。そして、自分は―――!
「そ、そん、そんな! 止せ、やめろ!」
「駄目だろ。だってお前、もう、」
 にぃ…と、窮奇の口が釣りあがり、牙が覗く。

「……返事……、しちまったじゃねえか」

 浮かび上がる嬉しそうで、極悪な笑み。首飾りの、動きが、止まる。
 渾沌が地面に象られた梅蘭の霊符を足で蹴り崩し、戒めを解いた。
 ぐい、と野狗子の身体が浮き上がる。
「うわ、あ、ああ! くそお! くそおおぁぁあああ!」
 断末魔の叫びを響かせ、野狗子の身体が翡翠の中に吸込まれていく。
いや、既にどこにも姿はなかった。あまりにもあっけない、下らない最期。
私利私欲の罪に見合った、相応しき最期だと言われればそれまでだが、
どこか村人たちの死に様と被り、梅蘭は唇を軽く噛んだ。
 窮奇は首飾りの翡翠を鎖ごと握り潰すと粉々にし、三昧真火で燃やし
尽くす。灰になった首飾りと野狗子は永遠に戻れぬ無となり、風に紛れ
消えていった。
「百年経っても、二百年経っても、蘇えるのは不可能…だな」
 ふと笑みを見せながら言った渾沌の言葉に、梅蘭は少し寂しげに笑い
返した。



 最早、ただの黒ずんだ穴となった泉を横目に、梅蘭たちは山を降りた。
必死だった事態が収束すると山は不自然に静まり返り、ただただ空しさ
だけが重く圧し掛かって来る。泉水は消え去り、山は寂れ、村にはもう
誰一人としていない。黙々と歩みを進める中、梅蘭は大きな石につまづき、
よろめいた。倒れることはなかったが、ごろごろとした石の多い道だ。
「あれ…。ここ、ひょっとして河の跡なのかな…?」
 行きも確かに通ったはずだが気がつかなかった。段差が大きく付いて
いるところを見ると、水が豊かに流れているときは、美しかったのだろう。
 …河を元に戻す約束は、守れなかった。涸らせたのが野狗子ではなく
香霞なら、梅蘭にはどうしようもないからだ。
「何も出来なかったな、わたし…」
 呟いた言葉に、窮奇が顔を顰める。
「まだそんなこと言ってんのかよ、馬鹿」
 そうだ。馬鹿だ。ここまでのことをした香霞の苦しみを自分は何ひとつ
解っていなかったのだから。苦しみや悲しみは、人も、神も、狂わせて
化物にする。もっと早く気付いていれば。表に見えることだけではなく、
もっとよく考えていれば。何かが今とは違っていたのだろうか。

「神であっても過去には戻れない。過ぎたことを…、悔やむのは、よせ」
 渾沌が横に立ち、同様に河の跡を見つめてそう言った。その通りだ。
失敗を糧にするのは良いが、悔いるだけでは何も変わらない。
「何も出来なかったというのなら、河を戻してやればいい」
「…兄上様に、頼みにいけということ?」
「違う。お前が、…やるんだ」
 梅蘭は少し顔を歪めて渾沌を見上げた。金色の瞳が見下ろしてくる。
「河を、戻したいんだろう」
「…勿論よ」
「ならば願え。お前の思いは、ここに、……ある」
 渾沌は巻物の紐を解き、端を持つと、それを広げた。白い紙には字は
ひとつもなく、何だか解らない奇妙な絵が描かれていた。 …いや、絵と
言うのか何なのか。楕円の形がひとつ、ふたつ。まるで、水溜りのような。
「水溜り…? 水……?」
 梅蘭の中に湧き上がってくる、数日前の出来事。
 この村に着いたとき、長老の家に通されたとき、愛愛が水をくれたとき、
窮奇がわざと水を零し、零れた水で巻物が水浸しになったとき。
 そして長老の昔話。

 描いたものを現実として吐き出す紙―――

「まさ、か…」
「願え」
 渾沌の、確固たる言葉。梅蘭は思い切り息を吸込んだ。

「水が、欲しい!溢れるほどの、河が溢れかえるほどに流れる水が!」

 どう!と、いう轟音と共に、巻物から水が滝の如く溢れ出る。
 無理に閉じ込められていた命が噴き出すように、水は自由自在に跳ね、
うねり、歓喜に沸き立ち、踊るように走る。大いなる生命力の迸りを感じ
ながら、梅蘭は自らの命がゆっくりと消えようとしていることに気がついた。

 だが、足掻くまい。
 無駄死にではない。
 この命を捧げることで、大恩あるふたりに礼を返すことが出来る。
「ありがとう…」
 窮奇と渾沌に向けた感謝の言葉は、河の音に掻き消された。



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