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季節の変わり目だから、風邪ひかないようにね
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七色の思惑 七の巻

 
 優しく、気づかわし気な声は、肌を撫でる手の様で実に気味の悪い
ものだった。元々が粗野そのものの五通神(ごつうしん)である。表面を取り繕えば
繕うだけ襤褸が出るのは致し方のないことで、窮奇(きゅうき)梅蘭(メイラン)にとっては
滑稽でしかない。それを映した目を悟られぬ為、梅蘭は顔を伏せる。

「梅蘭公主! どうぞ、怯えないでいただきたい。我々は貴女に危害を
加えるつもりはないのですから!」
 五通神の一郎が梅蘭だと思い込み、話しかけているのは、梅蘭では
なく侍女の娘である。人の娘が五通神からの問い掛けに応えられる訳も
ないが、梅蘭にとっては好都合に違いなかった。寧ろ対応されては困る。
策を実行する為には、自分と侍女が入れ替わっていることに気付かれる
わけにはいかないのだ。念のためにもう一枚、言葉の結界を貼っておく。
「公主、五通の神様方は元々貴女を攫うおつもりはなかったのですよ」
「…侍女殿、今なんと?」
「私にはわかっております、五通の神様。貴方方は炎王朝の地でこう
仰られた。"五仙女と侍女二人を捕えた"と。公主を侍女とお間違えに
なられたのでしょう?」
 一郎の顔にぱっと喜色が現われる。どこまでも単純明快であることか。
やはり神とは名ばかりの妖仙、所詮本性は獣なのだ。詰まる所、顕頭(けんとう)
大帝(たいてい)に"梅蘭と知らずに攫えばお前たちの罪は問われない"とでも言い
含められたのだろう。梅蘭の袖の中で窮奇が腹立たしげに鼻を鳴らした
ものの、ここまでくれば梅蘭の中では五通神に対して怒りよりも憐みの
方が勝りかねなかった。女を食い物にする化け物と言えど、顕頭大帝に
利用されたのは同じなのである。
(ちょっと、ちょっと梅蘭! 変な仏心を出さないでよ!)
 梅蘭の仏心を読み取った窮奇が釘を刺してくる。確かに草頭神(そうとうしん)らに
聞こえるよう様、わざわざ『侍女二人』と、叫んだことは罪逃れであるに
違いないが、狡猾というよりはどちらかと言えば小賢しい。それもこれも
解脱しきれていない畜生故。ならば慈悲深い ――― 渾沌には愚かと
両断されるが ――― 梅蘭である。ついつい憐みも湧こうというものだ。
(結局は鳥獣ですものねえ。まだまだ知恵の浅い小童と同じような気が
してきたわ)
(もう、馬鹿!子供が女の人を襲うわけないだろ!むしろ知恵の足りない
子供ど同列なら、なお性質が悪いじゃないか!それでどうやって慈悲
なんか湧くのさ!)
 窮奇がじたばたと暴れ出した為に動く袖を慌てて抑えながら、梅蘭は
改めて五通神の顔を見た。
(ああ、確かにね…)
 五通神の二郎を除く四名は顔を見合わせ、言葉をかけあっている。
「さすが梅蘭公主の侍女殿だ! そうは思わんかね、五郎」
「その通りです、四郎兄上。まあ天女に比べれば見目劣りはしますが、
所詮は人であるが故、致し方ありませんな」
「いやいや、この三郎は見目以上に感心しておるぞ。公主の侍女に
任ぜられるだけはあって、実に利口!実に明敏!なあ大哥!」
「ああ、全く、全く。賢弟らの言う通り」
 一郎が人の姿に獣じみた ( 獣ではあるのだが ) 笑みを浮かべた。
女を弄ぶことを喜びとする卑しさがありありと滲むその強顔。

「全く、手下どもに与えるは勿体ないほどだ!」

 ざわ…と、場の気が蠢いた。興奮が小山となって盛り上がった様な、
実に分かり易い騒めきであった。梅蘭は敢えて身じろぎを見せ、袖で
深く顔を覆う。若い娘の怯える姿に、周囲の興奮が大きくなった。
「ふむ。しかし、さて、いつまで持つことか? どうだろうか、兄上」
「こやつらに与えるのは、侍女殿ただ一人なのだ。限りがあるというの
なら、加減は己らでするがいいだろう」
「ふっ…、わははは!出来もしないことを!」
 一郎の言葉に兄弟たちがげらげらと笑い、袖の影で梅蘭の顔からは
表情が失せる。窮奇の言う通り、一瞬でも仏の心を表したことは愚かで
あった。この化け物どもに取り憑かれ、弄ばれた末に悲哀と絶望を抱え
命を落とした女たちの数は計り知れないのだから。


 しかしやはり五通神は利口ではない。
 五十は下らぬ妖怪どもに対し、女はたった一人。もし梅蘭が人ならば
あっという間に衰弱し、死んでしまうだろう。興奮冷めやらぬ妖怪どもは
娘を失った後どうなるか。
(暴動。でも、きっとそれ以前の問題ね)
 娘に最初に手をかける時点で、既に互いが互いの敵である。遠慮や
譲り合いがある訳もない。奪い合いが死闘に転ずるのは必至、そして
女が死ねば欲望を持て余した獣らの鬱憤は暴動となる。五通神たちは
それを考え、予測することができないのだ。
 共倒れをすれば好都合。とは言え梅蘭には殺し合いを黙認することは
できなかった。これから手下共に連れられ、屋敷の外れにでも行く事に
なるのだろう。そこで定身の法を使い、手下共の身動きさえ封じてしま
えばあとは五通神のみである。たった四体の妖怪如き、梅蘭の敵では
ない。二郎神らの軍が先に到着したならば渾沌(こんとん)の手柄にしてしまえば
良し、顕頭大帝が先に来たとしても梅蘭の手腕に面目を失うことだろう。
「さて、侍女殿」
「……はい」
「貴女は聡明な方だ。私が何を望むか承知されていると思うが」
「……恐ろしゅうございます。しかし許しを請うことは敵わぬのでしょう」
「是非もない。我々の手下に一時の夢を与えてやってはくれぬだろうか。
それが済めば褒美とともに家に帰してあげよう」
 甘さを装った言葉だ。だが聡明な娘ならば五十匹もの妖怪を相手に
して、命が長く持たないことはすぐに理解できる。例え命が助かったと
しても、生き恥を晒して寿命を全うできる訳もない。つまりこの場にいる
誰もが分かっている。帰すとは生身ということではない。死して亡骸と
なった娘なのだ。
 この連中はどのように娘を帰すつもりなのだろうか。厚顔にも亡骸を
抱えたまま門より踏み込むのか、それとも雲上から突き落とすのか。
突然の恐怖に家人らが怯え、しかし躯が我が娘であることに気付いた
父母の泣き叫ぶ声を聴き、五通神は悦に入って嗤うのだ。
 何と悍ましいことか!梅蘭はじわりと湧き上がる怒りを腹の底に押し
込め、抑揚のない声で深々と頭を下げる。
「これも定めでございましょう。謹んでこの身を献上いたします。ですが
わたくしは梅蘭公主の侍女にございます。公主の御傍を離れることは、
この場で毒を呷って死ぬよりも遙かに辛く、苦しく、父母兄弟に顔向け
どころか家にとって末代までの恥。どうぞ公主の御身の無事をお誓い
くださいまし。そして彼の御方の元へお返しくださいまし」
「おお!なんという健気なことよ…! 承知、承知した!梅蘭公主には
決して不快な思いはさせず、必ずや顕頭大帝にお返しいたそう!」

「………!」

(引っかかりやがった!)
 梅蘭は未だ嫁いではおらず、故に梅蘭にとっての彼の御方と言えば
兄である二郎真君(じろうしんくん)に他ならない。縁談の話も極内々に行われている。
何故、五通神如きが顕頭大帝との縁を知っているのだ?
 確固たる証左を掴んだ梅蘭は、ゆるりと背後を振り返る。問題はある
まい。仕えるべき姫君に最期の挨拶をする侍女と映るだろう。
「公主様、どうぞご安心を。そして今暫くのご辛抱を」
 きっと渾沌や二郎神らが救いに来ますよ。

「!!」

 慈悲溢れる姿は天女の域を脱し、菩薩そのものだった。
 そして慈愛を向けられた侍女の娘を、恐怖とは全く別の衝撃が貫いた。
 二郎神の妹たる梅蘭は、本来ならば公主として護られる立場にある。
金糸で細やかな刺繍が施された錦の衣を身に着け、美しく結い上げた
黒髪に銀と宝玉の簪を差し、多くの侍女や警護の神々らに傅かれて、
自らは何をするも必要ない。苦しみも、悲しみも、この世一切の穢れを
知らず、花の顔に笑みを湛え、香りを纏って舞い歌う。それが正しき姿。


(でもこの方は違う。そう、初めて出会ったときから…!)
 出会いは峻烈であり、鮮烈だった。
 一見すれば人の娘と何ら変わりのない姿をした天女は、天から降り
立つなり、盗賊に囚われていた娘たちと、妖怪の間に立ちはだかった。
そこには誤解があったものの、それでも窮奇や渾沌が梅蘭に対して
攻撃の意思を持っていたのは間違いない。然し天女は怯まなかった。
さして強そうにも見えず、剣や刀の分り易い武器も持たず、無論命を
下すべき家臣も連れぬ天女がたったひとり、屈強な妖怪に対峙する。

 それはなぜか。娘たちを、人を護るためだ。そして今も、また。
護られるべき天の姫君は人の娘を護るため、化け物たちの前に雄々
しく立ち塞がっている。侍女の娘の心の奥底から、説明のつかぬ、
泣き叫びたくなるようなざわめいた感情が湧き上がる。
(嗚呼、神様!天のすべての神々様!この愚かな私めに、一体何の
功徳が有るというのでしょう!)
 神は人々に恩恵を与え、厄災から護り、願いや救いの声に手を差し
伸べる。梅蘭の行動は神の本能に従った正しい行動に違いない。
 ならば、人が、そして己がやるべきことは。
(今の私は、公主の侍女である前に、ひとりの人間)
 仕えるべき侍女は主人に何をすべきか。
 天を敬う人は神に何をすべきか。
 それを忘れることは末代までの恥、人である資格がないではないか!

 護らねばならない。自らの誇りを守るために。
 そしてこの気高く慈悲深い我が神に報いるために。
 五通神が手を差し出す。梅蘭はその手に己の手を重ねる。娘の中の、
何かが弾け飛んだ。


「穢れた手を放しなさい、この畜生め!」
 手下どものざわめきがぴたりと止む。五通神らは定身を受けたように
固まり、梅蘭はゆっくりと背後を振り返った。唖然とする五仙女を背に、
しっかりと地を踏み付けた娘に怯える様子は無く、厳たる顔付きは(カン)
すら引けを取ってはいない。梅蘭は自然に口元が緩むのを堪えることが
できなかった。
「そのお方に指一本触れること、まかりなりません!」
「こ、公主。貴女の無事は保障されている。我々はあなたに御無礼を
働く気は…」
「お黙りなさい!今、お前が触れているのは一体どなたと思っているの
です! 本来ならばお前たちのような邪神が御傍に近づく事も、ましてや
ご尊顔を拝することも出来ぬお方だというのに!」
 背筋を伸ばし、足早に近づいてくる娘に、五通神らはたじろぎ、後退る。
「さあ、手をお放し!」
 ぱん!と高い音を立て、一郎の手が弾かれた。女ならば触れただけで
卒倒すると言われる五通神の手に、娘は自ら触れたのだ。
「わたくしはただの人。雇われた女中に過ぎません。こちらの方こそ真の
梅蘭公主、天の神にあらせられる!さあ、おさがり!わたくしの崇拝する
神をこれ以上を穢させるものか!」


 一郎の額から大粒の汗が滴り落ちた。他の兄弟らも蒼褪め、恐怖を
露わにする。
 …あの高慢な神を信じていた訳ではない。互いに互いが打算と理解
している。だが幸いにして、五通神は単純で大愚であった。たとえ利用
されていたとしても、梅蘭公主が手の内にあるうちは庇護を得られると
思っていたのだ。
 そして不幸な事に、現状を理解できる程度には五通神は利口であり、
己というものを理解していた。即ち。五通神に触れられた女は狂う程に
穢れるのだと。
「何という事だ…! だからこそ五仙女以外のふたりには剣を向け、自ら
車に乗るように促したというのに!」
 穢れのついてしまった天女など、気位の高い顕頭大帝にとっては最早
何の価値もないだろう。そうなればあの男は五通神を庇護をするどころか、
知らぬ存ぜぬを通すに違いない。後に残るのは、五仙女と梅蘭公主を
拐かしたという大罪だけだ。

「ひ…、ひ、あ、わあああぁぁぁぁっ!」
「どうする!どうすればいい!二郎神の軍がやってくるぞ!」
「この女どもを盾にして逃げよう!」
「逃げ切れると思うか!ならば、ならばいっそ!」

 歪み切った五通神の顔に、手下たちも漸く事態を察して息を飲む。

「殺せ!殺してしまえ!梅蘭公主も!五仙女も!人間の娘も!そして
骨まで喰らい、身に覚えがないと通せばいいのだ!でなければ我らが
皆殺しにされるぞ!」

 獣たちが咆哮をあげる。五通神らが一気に襲い掛かる。堪え切れず
五仙女が悲鳴を上げ、侍女の娘は主の前に飛び出そうとして、素早く
真横に延ばされた梅蘭の手に気付くと息を飲み、足を止めた。

「ああ!もう、なんてこと!」
 ぱちりと手を顔に当て、梅蘭は目前を覆った。これで謀は無に帰した。
 失敗。台無し。蹉跌。しくじり。
 五通神は錯乱、手下たちは半狂乱、混乱の一途。展開は最悪だ。
 だというのに。

 両目を隠した手のその下、小さな口元は大きく弧を描いていた。
「ふふっ…」
 思わず笑いも零れる。
 窮奇もまた梅蘭の袖の中で面白そうに笑いながらころりと一回転した。
 五仙女は悲鳴を上げることも忘れ、唖然として梅蘭を見詰めている。
仕方あるまい。この窮地の中、梅木の天女は楽しげに笑っているのだ。
だが侍女の娘だけは、その誇らしき姿に唇を固く結んだ。そして勝手
知ったるように一歩下がり、主の黒髪舞う背中を見る。

 全身から漲る陽気。
 弾け飛びそうな高揚。
 袖の中から取り出した霊符が神気を放ちながら宙を舞い、陰と陽を
分断せんと結界の壁を形作る。
「大変!さすがにこの人数、私の霊符が持つかしら!」
「ちぇっ、よく言うや!大変だなんてこれっぽっちも思ってないくせに!」
 袖の中から転がり出た毛玉が梅蘭の背後でぴたりと止まる。それは
生まれて間もなくと言わんばかりの小さな子猫だった。子猫は修羅場の
さ中にあって全く動じる様子はなく、しっかりと四肢を踏まえてはいるが、
援護としては余りにも頼りない存在だ。しかし、もしこの子猫が五仙女や
侍女の娘に背を向けていなければ。彼女らは翠色の瞳の中に揺らめく
炎を確かに目にしたことだろう。
 小さな足元から炎が燃え上がると同時に子猫の全身が炎に包まれる。
紅蓮の炎は見る間に業火となって渦を巻き、梅蘭をも飲み込んだ。
「公主様!」
 突然の事態に侍女が叫ぶ。生き物のようにうねる炎が僅かに勢いを
収めると、梅蘭の張った霊符の結界の背後には炎の壁ができていた。
そして刀印を結び構える梅蘭の僅か右。
「炎王様! 一体どこから…!」
 紅い髪の屈強な男は、紛れもなく炎王たる窮奇だった。

「心配することはないよ、下がってて」
「で、でも公主様が!」
「大丈夫」

 神々は崇高である。村が、街が、国が滅んでも、天は存在し続ける。
しかし人が天を拝むことを忘れ、信じる心を消せば、神の存在は無に
帰すだろう。故に人が神を信じれば、それは無限の力となる。

「梅蘭は負けない。今が一番強いんだ。君のおかげでね」

 神々存在の源は人。否、神々が存在すべき場所は人の心なのだ。




拍手絵お休み中

≫ 振り仮名・補足

| 五章 七色の思惑 | 23:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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七色の思惑 六の巻

 
 風景が矢のように流れていく中、発せられた言葉は流れることなく
渾沌(こんとん)の耳にはっきりとした『音』となって滑り込んだ。
 菩薩の恩恵は見えぬ目に光を与えるだけでなく、聞こえぬ耳に音を
伝える力も与えているらしい。菩薩が近くにいる間だけの、仮初めでは
あるだろうが、それでも渾沌にとっては数千年ぶりに聞く音色である。
 
 だが、なぜか余り感動はない。目とは違い、音は聞こえずとも脳裏で
言葉の意味を理解し、自然の音は肌で感じることができるからだろうか。
 故に。神兵の騒めきも、隣に居並ぶ男の声も、むしろ常と変わりなく、
実に平坦に頭の中に言葉として浮かび、理解すれば消えていくのみだ。
ただ言葉に滲む疑問や苦悩などは、やはり脳裏で理解するのとは少し
違う。…なるほど、これが音に含まれる『感情』というものかと、渾沌は
心中で独り言ちた。

「あれはなぜ、大人しく連中の車に乗ったのか」

 (カン)が口にした疑問は理解不可能と言えば不可能、しかし単純極まり
ないとも言える。なにしろ梅蘭(メイラン)のやることだ。彼女が猪のように猛進し、
また大胆に行動をとるときは、それこそ天が不変であるが如く、必ず
他者のためなのである。例えその行動が己の身に危機を及ぼそうが、
実際に傷を負おうが、いや、そこまで考えてすらいない。単純明快な
ことで、卓上から転がり落ちた湯呑を割らぬようとっさに手を出すのが、
否、出してしまうのが梅蘭という娘。天女。神。武神。
 その湯呑の中に熱い湯が入っていると解っていたとしても、手を差し
のべることを絶対に止めはしないだろう。
 渾沌がそういった考えを巡らせていたのは極々僅かな時間だったが、
それでも返答を待つことができなかったのか、康は再び、念を押すかの
ように口を開いた。
「お前はそうは思わんか? どうせ五通神(ごつうしん)に戦いを挑むのなら、何故
(えん)王朝で抵抗を見せなかったのだ。そうすれば仙女の方々を危険な
目に合わせることもなく、己の身も守りやすかっただろうに」
「それはない。梅蘭には無理だろう」
「どういう意味だ」
「わからないか。実にあれらしい、単純なことだが」
「わからん」
「抵抗すれば手傷を負った草頭神(そうとうしん)らを死なせることになる。更に付け
加えるならば、女を食い物にする妖怪どもの血で炎王朝を汚したくは
なかった。そういうことだ」
 何のことはないと言う素振りで答えた渾沌に康は目を瞬かせ、梅山(ばいざん)
兄弟らは振り返った。渾沌の言葉に抑揚はないが、だからと言って
決して冷徹ではない。梅山兄弟の何名かは口元に苦みを含む笑みを
表し、浮かべない者もまた目元に柔和な色を浮かべた。
「あれはいつもそうだろう。己の身を顧みない。それは愚かではある。
だが、俺は、いや、俺たちは確かにその愚かな猛進に救われてきた」
 むう…と康が唸り声を上げる。複雑な賛辞だ。しかしそう話す声には
感情がある。暖かな心が表れている。渾沌と呼ばれる妖怪は、天空を
見上げて皮肉な笑いを浮かべると言われ、実際に梅蘭と出会うまでは
確かにそうだったと言う。康は諦めたように細く長い溜息を吐き出した。
「……梅蘭が男なら、さぞや立派な武神になったことだろう。我々梅山
兄弟を凌ぎ、むしろ二郎兄上の良い右腕となったやもしれん」
「もうすでにそうなのではないか」
「おい」
「急ごう。あれの力を見くびってはいないが、窮奇(きゅうき)の援護が期待でき
ない今は分が悪い」
 渾沌の尤もな言葉に康はそれ以上何も言うことはなく、一行は南を
目指し、黒雲を走らせた。



   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 足が、震えている。顔色は既に蒼白を通り越し、死相すら出ている
ように感じられる。不安と恐怖。顔はそのままに、目だけを動かして
五仙女を見た梅蘭(メイラン)は、しかし彼女らの中にある一匙の誇りを確かに
認めていた。
(でも急がなければならないことに変わりはないわ…)
 五通神は一般的な武神らに比べれば懦弱な連中ではあるが、女を
ねじ伏せる程度の力と神通力は十分に持っている。だがその程度では
梅蘭の敵ではなく、もし窮奇(きゅうき)が本来の姿をしていたのならば一瞬で消し
炭になったことだろう。
 つまり厄介なのは手下の数だった。様々な獣の姿をした妖怪どもは
五十を下らない。ここで大立ち回りを始めることは簡単だ。炎王朝では
ないのだから遠慮の必要もない。だが六名の娘たちを守りながら戦う
ことは難しい。五通神と言えど、さすがに一瞬で全員を封じられるわけ
ではないし、手下の獣たちが加勢に入ったり、あわよくば混乱に乗じて
五仙女様をさらおうとするかもしれない。…ならば。五通神と手下らを
分断し、五通神に知られぬうちに観音縛(かなしば)りにしてしまいたい。
(何とか私一人が裏手に行けないかしらねえ…)
 五通神は梅蘭が侍女であり、侍女を梅蘭だと思い込んでいる。顕頭
大帝の手前、『梅蘭と思われている侍女』は手厚く保護されるはずだ。
五仙女らは五通神に捧げられる立場に納得をしている(無論、梅蘭は
そんな狼藉を許す気はないが)。では残る、『侍女となった梅蘭』は。

(手下どもに与えられるに違いない…、と、思うんだけど、どうかしら)

 軽く小首を傾げて、通された部屋を見渡してみる。五通神の根城で
あるとある洞。その中に建てられた屋敷の一室に、梅蘭を始めとする
梅蘭たちは通されている。邪神と言えども神は神というところだろうか。
建物は中々に立派である。洞の中にあって光は十分に届き、庭園に
向かって開かれた円形の部屋に設えられた調度品は豪華で、窓枠に
彫られた装飾も繊細で美しい。中心には卓が五つと、椅子が十脚。
卓上には酒や料理、様々な珍味や果物が所狭しと並べられている。
…五通神は女を寝取る前に酒の相手をさせるのが常套だ。だから
今よりしばらくは五仙女にその相手をさせるのだろう。ひょっとすると
自分が給仕や舞を見せねばならないのかもしれない。
(だとすれば、少し厄介ね…)
 顕頭大帝(けんとうたいてい)が乗り込んで来れば、彼に手柄を与えてしまうことになる。
そうなれば炎王(えんおう)たる窮奇の名は地に落ち、五通神の討伐を受けていた
烏飛(ウーフェイ)那咤(ナージャ)三太子らも処罰を受けかねない。だからこそ、彼が来る前に
自分が片付けてしまわなくてはならないのだ。


(畜生共は女の匂いに酔いしれている。少しばかり煽ってやろうぜ)
 袖の中にいる窮奇が梅蘭にしか聞こえぬように囁き、梅蘭は僅かに
口角を持ち上げる。
 嗚呼!天女でありながら全く何ということだ! (カン)が聞けばきっとそう
嘆き、頭を抱えることだろう。それほどまでに、不敵なやり取りである。
だが五仙女と侍女の娘の命運は、この峻烈なる天女が握っているのだ。

 梅蘭の足元から五通神らに悟られぬよう、緩やかな仙気が流れ出す。
梅華の香りは時に人を癒し、時に不埒な男を引き寄せる。庭園の向こう
から羨ましげにこちらを見つめる獣どもの鼻が、それに耐えられるわけが
ない。騒めきが徐徐に大きくなっていく。それに逸早く気付いた五通神の
長兄、一郎は顔を顰めた。
「全く、浅ましい連中だ。我々の酒宴が終わるまですらも待てぬとは」
「しかたねえさ、大哥(あにき)。なにしろこんな上玉ばかり、奴らは見たことも
ねえだろうよ。ちぃと早いが分け前を与えてやろうぜ」
 三郎の提案に一郎は唸った。分け前を与える時宜は慎重にせねば
ならない。つまり主人らが十分に食事を終えるまで、部下は待つのが
本来の上下関係と言うことだ。

 しかし手下どもの熱気はもはや抑えられないとだろうと理解していた。
早く分け前を与えなければ暴動が起こりかねない。一郎の視線がちらと
こちらを向くと、梅蘭は体を震わせ、さっと袖で顔を隠した。怯える振りに
一郎の加虐心は刺激されるだろう。その袖の向こうには、すでに戦いの
心準備を整えた何の容赦もない峻厳な顔がある。五通神らに降りかかる
神罰はすでに始まっていた。


≫ 振り仮名・補足

| 五章 七色の思惑 | 21:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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七色の思惑 五の巻

 
 渾沌(こんとん)は喉の奥で呻くと掌で顔を覆った。今はその手に爪がない事が
幸いだった。もし多くの者と同じに指の先に爪があったのなら、それは
自分自身を傷つけることになっただろう。
 あの侍女は梅蘭(メイラン)の世話をする為に連れてこられた娘であり、言わば
渾沌には何の関係もない。だが梅蘭は渾沌の主であり、渾沌は梅蘭の
従者だった。たとえそれがただの名目であったとしても。
(あの娘は、一時のことであっても、この炎王朝に留まり、生活を営んだ。
ならば…!)
 渾沌にとって、命を懸けて守らなければならない民だったのだ。

「……菩薩様が話を聞くに、娘は罪を犯したと嘆いていました。多分、
"己の欲に従った者には罰が下る" ような呪いを掛けられていたので
しょう。自らが招いた結果ならば、顕頭大帝(けんとうたいてい)を咎めることは出来ません」
「菩薩によって救われたのは、あの娘に少なからず徳があったからだ!」
 渾沌は叫んだ。僅かであっても顕頭大帝の取った行動が正義である
などと認めたくはなかった。渾沌だけではない。梅山(ばいざん)兄弟や、烏飛(ウーフェイ)(レイ)
将軍、那咤(ナージャ)三太子の顔にも同じ表情が浮かぶ。
 救われたからと言って、娘が心に負ったであろう傷が消えるわけでは
ない。もし誰にも気付かれぬまま隠されていたならば、逃げることすら
敵わぬ壺の中で、そう長くは持たずして息絶えてしまったことだろう。
 それはまるで身勝手な男の野望のために多くの人間が殺され、滅亡
してしまった炎王朝の縮図のようだった。
「…我ら王族には命を賭するべき責任があり、娘には自ら選んだ罪が
あった。だが、だが…!一体どうして納得など出来るものか!」
 力がある者にとって、弱き者は踏み台ではない。助力を願う相手だ。
守ってやることが出来ぬ輩に、弱き者らたちの力を借りる権利はない。
ましてや利用することなど。
 いよいよ顕頭大帝への怒りは頂点に達しようとしていた。それは最早
渾沌や梅山兄弟は元より、今までは身分が故に感情を現わさなかった
草頭神(そうとうしん)らですら。

金宮(あきのみや)
 不意に人であった頃の敬称で呼ばれ、渾沌はぎくりと身を震わせた。
呼ばったのは誰であろう観世音である。何故にその名で、と尋ねる間も
なく、観音菩薩は恵岸(えがん)行者より一振りの剣を受け取ると、渾沌へと差し
出した。
蕩魔天尊(とうまてんそん)よりお借りしてきました。これをお前に預けましょう」
 蕩魔天尊とは武当山(ぶとうざん)に住まう武神である。玉帝(ぎょくてい)が自らの魂を分けて
地に生まれた神であり、複雑な話となるが、玉帝が二郎神(じろうしん)の伯父に
当たるのなら彼もまた同じであり、二郎神の義妹である梅蘭とも縁が
ない訳ではない。その蕩魔天尊は数多の妖魔を討伐して北方を鎮圧、
真武(しんぶ)の位についたため、またの名を真武大将軍とも呼ばれている。
 実は顕頭大帝は、彼に封じられた三十六神将のひとりだった。故に、
渾沌は剣を受け取るのを躊躇った。なぜなら真武大将軍は顕頭大帝を
降参せしめ、封じはしたものの、己の判断で天罰から顕頭大帝を庇って
下界に逃がしてやっている経緯がある。
(…そこが奇妙なところだ。馬鹿な子ほど可愛いと言うが、どんなに罪を
犯してもあの男は不思議と上の者から可愛がられるのだからな)
 勿論上に愛される分、それ以外の者からはあからさまに疎ましがら
れるのだが、だからこそ渾沌には真武大将軍の真意が読めなかった。
「恵岸行者」
 渾沌はやはり緊張の拭えぬ面持ちと声音で、その名を口にした。
「本来ならばこうして面前にて口を聞くことは元より、西方に顔を向ける
ことすら罪となる身。しかし敢えて観世音に御尋ねすることをお許しいた
だきたい」
 この非常事態、しかも既に菩薩から「金宮(あきのみや)」と呼ばれているにも関わ
らず、渾沌は決して直接菩薩に対して直接口を利こうとはしなかった。
噂には聞いていたが、頑な迄の謹厳である。恵岸は苦笑し、だが実に
深い感心を以てその場より一歩下がり、了承の合図とした。目の前の
観世音菩薩の顔はひどく穏やかで慈愛に満ちている。それは遠き日に
淡き想いを寄せた炎王朝の王妃を思わせた。
「観世音菩薩」
「…何なりと聞くがよい」
「その剣にて、愚生に何をせよと仰るのか。よもや真武大将軍が己の
剣で顕頭大帝を斬れと命じたわけではありますまい」
 渾沌の言葉はもっともだった。その一振りの剣の本旨が、ここに居る
全ての武神の行動を定めると言っても良いだろう。

妙吉祥(みょうきっしょう)に刀を鞘から抜かせるでない」

 皆が仰せを待つ中、観世音は厳かに命を下した。
五通神(ごつうしん)めらが五仙女や梅蘭を攫って炎王朝を立ち、そのしばし後を
妙吉祥が追っている。全ては算段の上、今は追い付き追い越す事は
出来ぬだろう。だがあれは愚かにも増上慢である。娘らの前でのらり
くらりと口上を垂れ、俗物のように己を飾りたてて装うこと間違いない。
故に、我々はそこであれを抜き去ることができる。そしてそこが要諦。
皆、良いですか」
 観世音の声音が明らかに変化した。そして観世音は、妙吉祥という
幼き頃の彼の名を呼ぶのを止めた。
「顕頭大帝に決して活躍の場を与えぬ様。それがあれに与える最大の
罰となる」
 観世音の尊顔に既に柔和な笑みはなかった。醸し出すのは魔を降伏
せし明王の如き憤怒。仏の顔も三度。慈悲の消えた仏ほど、恐ろしい
ものはない。
 もはや一同に遠慮も躊躇いも無かった。彼らが追うのは只の賤しき
奸物である。鬨の声が上がり、二郎神と梅山兄弟が軍の先頭に立つ。
神々の気合いは恐ろしき神気となって空をかき乱した。しかし怒りは
それだけでは済まなかったのである。





「委細承知致した。その剣に恥じぬ働きをいたす所存」
 渾沌(こんとん)は恭しく剣を受け取ると深々と頭を垂れ、礼を尽くし、その身に
剣を携えた。先頭に立つ梅山兄弟の方へ雲を走らせようとして、観音
菩薩が呼びとめる。
「金宮、もう一つ、お前に頼みたいことがある」
「何なりと」
 それは西王母(さいおうぼ)よりの伝言だった。その内容に渾沌は思わず苦笑し、
恵岸(えがん)も表情を緩める。
「西王母様は、五仙女に降りかかる災厄を見抜いていらっしゃったので
しょうが、些かきついお灸ですね」
「いや…、さすがの西王母も凶を読んだだけで、五通神に攫われるとは
思ってもみなかったのではないだろうか」
 ひどく恐ろしい目には合うが、寸でのところで難を逃れる。そう読んで
いたからこそ、西王母は恋草に溺れる五仙女を敢えて下界に送り出し
たのだろう。しかし渾沌の言うとおり、五通神は娘子にとっては過重な
連中だった。天界より西方浄土へと騒ぎが伝わり、如来の命により、
菩薩が救援に現れたのも、実はそれが切っ掛けとなったのだ。
「五通神のひとりが天のとある神女の私邸に忍び込み、騒ぎが大きく
なったのです。大きくならざるを得ないお方です。…確か、烏飛(ウーフェイ)将軍は
そちらの従者でしたね」
「は………?」
 恵岸から不意に己の名を呼ばれ、警護として菩薩の傍に侍っていた
烏飛は彼にしては至極珍しい愚鈍な声をあげた。
「ああ、ここしばらく下界でお役目に付かれていた烏飛将軍のお耳には
入っておりませんでしたか。香霞(シャンシア)公主の湯浴みの場に、五通神が忍び
込んだのですよ。湯殿へ辿りつくまでに警護の者に見つかり、御身は
御無事でしたが、五通神は公主の御着物一式を盗み、逃亡 ――― 、
烏飛将軍?」


「……………………………………………殺す」

 誰もが止める間もなく、烏飛の雲は気付けば南の方角に消え去って
いた。つい先も、どこかで見た光景である。呆気に取られていた(カン)
我に返るなり、どうして皆が皆、こうも統率が乱すのだと喚き、少し前、
同じことをした(ヤオ)がこそこそと身を縮めている。
 渾沌は先の烏飛と同じく、彼にしては極珍しい気楽な笑みを見せた。
あれほど昂った気持ちは今不思議に落ち付いている。
(…これも菩薩の恩恵か)
 掻き乱れた心を平静に導く姿を梅蘭に重ねて、渾沌は手の中の剣を
しっかりと握り直した。
 最終的に矛先は全て、顕頭大帝に向ければ良いのだ。



矛先は南

≫ 振り仮名・補足

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七色の思惑 四の巻

 
 神は貴く、尊きものである。
 日月と齢を同じくし、時に星を動かし、天命を支配して、その人々の
嘆願の聞き、恩寵を授け、あらゆる魔を退ける。
 故に人々は敬い、香を焚き、供物を捧げ、天に福禄寿を祈り、日々の
安寧を授かろうとする。
 しかしその神々ですら一目置き、大難の際には済度を求める相手が
いる。その者たちは決してもらすことがない。相手が天の神であろうと、
罪を犯した人間であろうと、海の中の小魚であろうと、地を這う昆虫で
あろうと等しく同じに扱い、心よりの救いを求めるのであれば、ただただ
慈悲の心で以て、もれなく救済の手を差し伸べる。
 それが西方浄土、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)たる仏祖、釈迦牟尼世尊(しゃかむにそん)をはじめと
する仏道に帰する者たちである。

 燦爛たる、しかし柔らかな後光を放ち、渾沌(こんとん)の目の前におわすのは、
南海普陀洛伽山(なんかいふだらくせん)に住まう救苦救難大慈大悲(くくくなんだいじだいひ)南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)。未だ
仏には成り得ぬまでも仏に一番近い観音は、この世を憂う釈迦如来に
応えて数多くの僧侶の中から陳玄奘(ちんげんじょう)、すなわち三蔵法師(さんぞうほうし)を選び出し、
三人の弟子の与え、西方まで経典を求めるよう導いたことでもよく知ら
れている。
 慈悲深さ故、神に劣らず信仰する者は多い。無論今は化け物の身に
堕ちた渾沌(こんとん)とて例外ではなく、人であり、炎王朝の王子であった頃は、
数々の神像に対すると同様に、その仏像に香華を手向け、日々手を
合わせていた。
 その像が生きた姿となり、今、目の前に居る。
 祥光はたちこめ、瑞気はたゆたう。玉面に浮かぶ、あまりにも慈愛に
満ち溢れた微笑みと妙なる香りは正に難を解き、万物を救い、慈しむに
相応しい。まるで己の中の悪しき物を全て綺麗に洗い流し、浄化させる
かのようだ。他の誰より自分自身を憚っている渾沌は、本来ならばかの
お方の御前に姿を見せる我が身を大いに忌み、また恥じたことだろう。
しかし観世音菩薩の輝きは、それすらも忘れさせるほどに霊妙であった。
それは生まれたばかりの無垢な赤子か、魂が抜けてしまったかの如く、
ただただ礼儀も忘れて輝く御姿を見詰める様子は、渾沌を少しでも知る
者にとってはひどく珍しい姿と映ったに違いない。だからこそ礼儀作法に
際立って厳しい(カン)ですら何も言うことは出来ず、むしろこの後、己のしで
かした無礼に対して、間違いなく慚愧に堪えぬ思いをするであろう渾沌
には同情せざるを得なかった。
 観音菩薩の横に侍る弟子の恵岸行者(えがんぎょうじゃ)もまた、同じ気持ちなのだろう。
いつまで経っても菩薩に対し平伏せず、拱手すらしない妖怪の男に対し、
情に満ちた苦笑を洩らせど、叱咤する様子は見られない。恵岸行者は
言葉とは裏腹な穏やかな口調と慇懃な態度で、渾沌に命を出した。

「控えよ。こちらにおわすは、大慈大悲救苦救難霊感南無観世音菩薩(だいじだいひくくくなんれいかんなむかんぜおんぼさつ)
なるぞ」

 その名を改めて耳にした渾沌は、漸く我に返る。
 何とか身を奮い立たせ、獣から人の姿に変化すると周りの者たちと
同じく雲間に跪き、深く頭を垂れた。



 菩薩の出現に一同皆、緊張の面持ちで平伏したものの、しかし事は
重大、また急を要するため、挨拶もそこそこに再び雲は天空を滑り出す。
「兄上、お久しゅうございます」
「久しいな、賢弟。しかし今は挨拶は置いておこう。まずはお師匠様の
お言葉を聞いてくれ」
 李天王の第二子で、那咤(ナージャ)三太子の兄である木叉(ムーチャ)は恵岸と言う法名を
賜り、観音菩薩の第一弟子として仏門に下っている。その恵岸行者の
言葉通り、皆皆の視線が一斉に菩薩に集中す。渾沌は人の姿を保った
まま、梅山(ばいざん)兄弟と(レイ)将軍らの後ろに下がり、菩薩から出来るだけ身を
遠ざけた。代わりに那咤三太子、烏飛(ウーフェイ)将軍らが警護も兼ね前に進み、
二郎真君(じろうしんくん)はひとり菩薩の真横に黒雲をつけると、神妙な面持ちで頭を
下げる。
「観世音にはわざわざの御救援、痛み入る次第です」
「何を仰ることか。五百年前、天を大いに(さわ)がせた悟空を捕らえる為、
真君を推挙したのはこのわたくしです。思えば未だその御恩に報いる
こともなく、ましてや此度の騒動の種は、我が弟子たる妙吉祥童子(みょうきっしょうどうじ)
馳せ参ぜずしてどういたしましょうか」
 菩薩は二郎真君に詫びの言葉を述べ、周囲に釈迦牟尼からの命に
より参じたことを説明した。
「皆には多大なる迷惑をかけています」
 恭しく頭を下げた菩薩に一同は恐縮し、特に渾沌は余りの居心地の
悪さに思わず顔を顰めたが、(リー)に肘で小突かれると菩薩から顔を背け、
頭を振った。尤も渾沌のように態度には出さないだけで、梅山兄弟らも
また同じ気持ちである事には違いない。彼らが苦々しく感じているのは、
何も観世音が頭を下げていることではない。菩薩ともあろうお方に頭を
下げさせる所業を平気でなしている顕頭(けんとう)大帝に対してである。
「皆、其々に思うところはあるでしょうが、此度の件の元凶はわたくしに
あるのです」
 殺生の罪を犯し、戒を破った妙吉祥童子、すなわち後の顕頭大帝を、
釈迦如来は陰山に堕とすべしとした。思えば、それが正しき判断だった
のかもしれない。然し慈悲の主である観世音菩薩は妙吉祥を憐れんだ。
霊山の弟子が陰山に堕ちるのは過ぎるのではないかと思ったのも確か
である。
 転生を経て修行を積んだ妙吉祥は生まれながらに神籍を賜り、慢心
故に様々な騒ぎを起こしながらも妖魔を滅し、母親を救って徳を積み、
最後には仏門に下って顕頭大帝として名を馳せる。
「ようやく正道に帰したものと安楽していれば、よもや、このような謀を
企てるとは。炎王朝にて救い出した娘の涙に、わたくしは酷く心苦しく、
嘆かわしい心地でした」


 天の騒ぎがとうとう西方へと伝わり、如来から命を受けた観世音が
炎王朝に降ったとき、そこにはひとりの娘がいた。己は罪人であると
観世音の前に平伏し、嘆く娘は、確かに炎王を謀る罪を犯したものの、
しかしそれは顕頭大帝の口車に乗せられたも同然である。心より慕う
気持ちを利用されたと言うのなら、一体どうしてそれを咎められようかと
嘆く観音の言葉を聞き、梅山兄弟の康は違う意味で驚きの声を上げた。
「お待ちくだされ、観世音!む、娘ですと?それは一体誰なのです!」
 (カン)は無礼にも大声を上げたが、皆一様にその違和感に気付いたため、
咎める者はいなかった。康の問いに菩薩は僅かに目を伏せる。
「梅蘭公主の侍女です。康大尉、炎王朝には貴方に連れられて来たの
だと申しておりました」
 康は聞くなり驚き、そして背後の弟たちへと顔を向けた。
「一体どういうことなのだ! 私は梅蘭や五仙女、そして侍女の娘らが
残っていないかくまなく探せと言ったはずだぞ!」
「無論ですとも兄上!」
 それに応えたのは(ヤオ)で、大きな焦燥が顔に現れていた。
「私たちは那咤(ナージャ)三太子、烏飛(ウーフェイ)将軍と共に宮殿、宝物庫、宿営、田畑や
林の中、家の一軒一軒までを探索致しました。しかし娘どころか気配
すら、どこにもありはしませんでしたよ!間違いなどありません!」
 そうして六兄弟は一斉に渾沌(こんとん)の方を振り返った。宮殿内の、王族の
私室の中を確認したのは渾沌だったからだ。
 一気に視線を浴びた渾沌は、今は菩薩の力によって光を映す目で
彼らの視線を受け止め、顔面を蒼白とさせる。なぜなら自分が調べる
限り、そこにも確かに気配はなかったからだ。
 菩薩はここで深い息を吐いた。慈悲慈愛に溢れる菩薩にはありえぬ
ほどに、憂いと悲しみに満ちた顔だった。その憂いと同じものを纏わせ、
師匠を庇うように恵岸が口を開く。
「康大尉。弟君らにも、颯王(そうおう)にも、落ち度はありませんよ。何しろ娘は
定身法で身動きを禁じられ、なおかつ掌ほどに縮められて宝物庫の
壺の中に隠されていたのです。あまりにも強い術で、不肖ながらこの
私も全く気がつきませんでした。お師匠様が見つけて下さらなかったら
一体どうなっていたことか……」

 言葉が終わると瞬時に動いたのは渾沌だった。梅山兄弟が止める
間もなく ― 止める気などなかったかもしれないが ―  菩薩の近くに
駆け寄ると、何かを叫ぼうとし、しかし声は出せずただ身体を震わせる。
見える目で無造作に菩薩を見下ろし、痙攣を起こしたようにがちがちと
何度か奥歯が鳴った。完全に対し無礼極まりない態度だ。

 しかしそれでも、やはり恵岸行者は渾沌を咎めたりはできなかった。
渾沌を見詰める目にはただただ憐れみがあるのみである。




心を憐れむ

≫ 振り仮名・補足

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