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七色の追憶 三の巻

 
「驚いたなあ。あんなきついこと言う梅蘭(メイラン)、初めて見たよ」
 街へ続く坂道を軽やかに降る窮奇(きゅうき)はくいと首を上げて、(ヤオ)を見上げた。
ひょろりとした男は光が眩しいのか、掌で軽く廂を作りながら視線だけを
足元に落とす。相変わらず猫の姿のままの窮奇は四本の足を動かして
跳ねるように歩き、尻尾はゆらゆらと揺れていた。
「御機嫌だねえ」
 そう言った姚の言葉には苦笑いが含まれていたが、窮奇は気付いて
いないのか、気付いていても気にするべきことではないのか、からりと
した返事をする。
「だって、自分以外の奴のために腹を立てるのって梅蘭らしいし」
 なるほどね…と、姚は頷いた。梅蘭が天にいる頃、友達らしい友達と
言えば香霞(シャンシア)公主だけだった。梅蘭の住まう欲界は天界の最下層であり、
下界に一番近い場所だ。無論のこと、梅蘭は二郎神(じろうしん)の付き添いなしに
上天に昇る行為は許されてはいない。そして上に住む天女らは己より
下層に住む者をわざわざ尋ねるなどはしなかった。
 唯一、香霞公主を除いては。

 今となっては、梅蘭が何故に下界へと降り、如何にして窮奇(きゅうき)渾沌(こんとん)
運命を共にすることになったのか、二郎真君(じろうしんくん)から全てが語たれ、仔細は
把握している。真実は胸の内に仕舞い、口にすることは憚られる訳では
あるが、それでも兄弟らは皆動揺を隠せないようだった。平静を保って
いたのは(チャン)(ヤオ)の二人だけだ。張は常より沈着で、物事を冷徹に受け
止めることが出来た。そして姚は初めて香霞公主に目通りしたときから、
どこか危ぶむ気持ちを持っていたのだ。
(こういうとき、女の子の気持ちに敏感だときついよな。杞憂で終わって
くれりゃ良かったのに)
 ぼりぼりと頭を掻きながら、心の中で愚痴を吐く。
 彼女の二郎神を見る目も、最初は柔らかく萌える恋草だったのだろう。
(恋風は北風となって、新芽を枯らしちまったのかね。だけど)
 それでも、梅蘭に会うために上天から降ってきてくれたのは、彼女だけ
なのだ。


「だからね、お前がやったことは間違いじゃないんだよ」
「きゃっ!」
 不意に後ろから声を掛けられ、梅蘭は椅子から小さく飛び上がった。
窮奇が膝の上にひょいと乗ってくる。
「梅蘭、見っけ」
 梅蘭は姚の存在に気付くと窮奇を抱え、慌てて立ち上がろうとしたが、
(ヤオ)は笑いながら両掌を見せるとそれを制し、自分もまた椅子を引いて
妹の隣へと腰掛けた。梅蘭の足が完全に浮いている背が高い椅子は、
ずらりと横に並び、それに合わせて細長い卓が設えられている。卓の
向こう側は調理場、壁に設えられた棚の上には、埃まみれだが、形の
残っている食器。床には大きな壺が並ぶ。なるほど、ここは酒場だなと
姚が言えば、窮奇も猫の口の両端を吊り上げ、笑みを浮かべた。
「酒屋兼、酒場さ。でもご飯やオレたちのおやつも作ってくれるよ」
「子供がこんなところに来るっての?」
 窮奇は梅蘭の膝の上で卓上に両手を掛けていたが、姚の方に顔を
向けると不思議そうに首をひねった。
「何で?子供が行っちゃ駄目な場所なんて、外界を除けば崖っぷちか
王宮の武器庫くらいだったけど」
 窮奇は意味がわからない様だったが、酒は毒と薬の如く、紙一重の
飲み物だ。故に酒場もまた、健全に酒をたしなむ場所だとは限らない。
加減を知らずに溺れる者や、礼儀を忘れて喧嘩を始める連中もいる。
時にそれらの喧騒に紛れて怪しげな取引の場となり、片隅では奸策が
囁かれることも少なくないはずだ。だが窮奇は首を横に振った。
「父上も、父上の友達も、他のお客も、いつもお酒を飲んで笑ってたよ。
で、大騒ぎしておばちゃん…、酒場を切り盛りしてたおばちゃんに叱ら
れんの。でも叱られてまた皆で笑うんだ。酒場ってそんな場所だよ」
 姚は視線を上げて宙を見詰めた。窮奇の語り口は単純だが、まるで
当時の賑わいが浮かんでくるようだ。(えん)王朝には酒に依存する者など
いなかったのだろう。
(考えれば当たり前か)
 炎王朝は王族だけでなく、全ての民草が呪宝に拘わる民族なのだ。
酒如きに溺れるようであっては、呪宝集めを担うことなどできはしない。
酒場は子供すら出入りが自由な、楽しいだけの場所だったのだろう。
「ちゃんと節度が…、いえ、そんな堅苦しい言葉ではなく、もっと自然で、
大らかなものを持っているのでしょうね」
 梅蘭の声は優しげで、寂しげで、そして明らかに自省と自嘲を含んで
いる。窮奇が心配そうに梅蘭を見上げ、鼻を鳴らした。
「兄上様、ごめんなさい。私あの方たちに酷く失礼な態度を取ってしまい
ました。勝手なことをして心配をおかけしてばかりなのに」
 このくらいのことで涙を見せる梅蘭ではないが、自責の念は顔色を暗く
塗り替える。姚は俯いた妹の横顔を見、小さな口からふっと息を吐いた。
「そうだね。俺もお前にひとつ言っておきたいことがあるよ」
「…はい」
 数多の女性に対してだけでなく、姚は兄弟の中では一番梅蘭に甘い。
そんな兄の珍しくも厳しさを含む声色に、妹も背筋を伸ばした。目と目が
合う。細く切れ長の目、普段は美しいと思う赤い瞳に真剣な光が宿れば、
それは正に兄を象徴する蛇の如く、一息に呑み込まれてしまいそうだ。
梅蘭は己でも気付かぬうちに生唾を飲み込んだ。

「良い女だったよ」
 余りに自然な物言いだった。涼しい風のようにさらりと流れたそれは
並んで座るふたりの黒髪を揺らすような錯覚さえ起こさせる。ぱちりと
大きな瞬きと共に、窮奇が尻尾を揺らせたことで、梅蘭はようやく兄の
言った言葉を理解した。尤も言葉そのものを理解しただけで、深意は
把握できていない。大いに戸惑いを浮かべて、幼さの増した華の顔に
苦笑しつつ、(ヤオ)は身体の向きを変えると両手で妹の頬を包み込んだ。
「相手が誰であろうとも、朋友の名誉を護り、朋友のために怒ることは
間違っちゃいないだろう?だから思ったんだよ。ああ、俺の妹は良い
女になったってね」
 黙っていれば冷たい印象すら与える風貌の兄の、にやと笑った顔は
奇妙に愛らしく、梅蘭は釣られて相好を崩した。叱責を受けるだろうと
覚悟していた時には堪えられていたものが喉元に詰まり、少しばかり
泣きの交る笑顔だったが、窮奇は仲の良い兄妹の姿を下から見上げ、
嬉しそうににゃあと鳴く。
「梅蘭、良かったね。香霞(シャンシア)公主とも早く仲直りできるといいよね」
「おや、お二人は仲違いをされているのですか」
「うん、だってそれがそもそもの発端…って、うわああっ!」
 窮奇は悲鳴を上げると梅蘭の膝の上から転がり落ち、人の姿に戻り
ながら埃だらけの地面に思い切り尻餅を着いた。顔色を変えた梅蘭と
姚の心情を、窮奇が ( 己の本音も含めて ) 代弁する。
「また出た!」
 屋内にあってもなお太陽の如き煌めきを放ち立っていたのは、顕頭(けんとう)
大帝(たいてい)だった。梅蘭の痛烈な迄の攻撃にすごすごと退散したのはついぞ
昨日のことだと言うのに、まるで綺麗さっぱり忘れてしまったような清々
しい顔は、天晴れと言うよりほかに言葉が見つからない。窮奇は緩慢な
動作で立ち上がると、梅蘭の向こう側に回り込んだ。つまり梅蘭の影に
逃げ込んだのだ。姚もいることだし、自分が前に立つ必要はないと判断
したのだが、とにかくもう、顕頭大帝とは拘わり合いになりたくなかった。
無論梅蘭や姚とて同じ気持ちではあったが、そんな深意や空気を顕頭
大帝が読めないこともまた毎度のことだ。既に彼は満面の笑みで口を
開きかけている。またお喋りが始まるのだろう。窮奇はうんざりとしつつ
腰を曲げて卓の上に肘を付いた。
「先ほど広場で偶然噂を耳に致しました。友を想い怒りを見せる公主は
やはり素晴らしい方ですね。姚大尉が兄として誇りに思われるお気持ち、
至極よく解りますよ」
「それはどうも……。いや、どこから聞いてたんですか、貴方」
「最初の"良い女"と言うところからです」
「そうじゃなくて、場所」
「ああ。入口横の壁に添って聞いておりましたが」
 盗み聞きじゃねえかと窮奇は忌々しげに吐き捨てたが、小さな声には
自重と警戒が含まれている。梅蘭と香霞公主が仲違いをしていることを
知られてしまったことはどう考えてもまずかった。
(こいつに事の成り行きが推測できるとは思わねえけど、憶測で勝手な
ことを周りにくっちゃべられちまったら面倒臭えよな)
 ちっと己にだけわかるように舌を打った窮奇の苦悩に気付くこともなく、
顕頭大帝はべらべらと話し続けていた。


「嗚呼、何と清らかな心。所で公主、私には華光(ファコァン)と言う名もあるのです」
「…存じてますわ」
「では公主!考えても見てごらんなさい!私は輝く華。貴女は愛らしく
美しい梅と蘭の華。なんと似合いなのか、これを運命と言わずして何と
呼べばいいのでしょう!」
 きらきらと煌めく何やらを振りまきながら顕頭大帝が輝けば輝くほど、
三人の顔に色濃い影が落ちていく。姚と梅蘭がのろのろと席を立つと、
その後ろに顕頭大帝、そして窮奇が付いて店を後にした。屋外の光は
顕頭大帝の放つ煌めきに比べ、随分と柔らかだった。
「お前……、ほんっと懲りないなあ………」
 "梅蘭と香霞公主の現状"と言う駒を手に入れた相手に対し、余計な
ことは言えないと警戒していた窮奇から、止め様のない本音がぼろりと
零れる。先頭を行く姚と梅蘭を余所に、顕頭大帝は路地に差しかかった
ところで足を止め、振り返った。窮奇の発言を特に不愉快に感じている
風もなく、しかし浮かべる笑みには嫌みが漂っている。路地から流れて
きた風が男の黒髪を揺らしたが、それは何処となくどす黒くて寒々しい。

「君にはむしろ礼を言ってもらいたいがね」
「……何の礼だよ」
「妖怪二匹と身を重ねたような娘を一体どこの誰が娶ってくれるのだ?
こちらとしては感謝して貰いたいくら」
 最後まで言い終らぬ内に顕頭大帝は身体を真横に折り曲げ、やはり
真横に吹っ飛んだ。窮奇は壁に叩きつけられて地面に突っ伏した男を
無表情に見下ろし、それから路地の方へと視線を移す。
「良い蹴りだったな」
 薄暗い路地から姿を見せた渾沌の顔には、不愉快極まりないものが
拭いきれぬままにがっちりと張り付いていた。



暗闇からの白い鬼神


●次回更新は 5/26 です。
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| 三章 七色の追憶 | 22:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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七色の追憶 二の巻

 
 天の神が誰ひとりとして呪宝に頭が回らなかったのかと問われれば、
それは致し方の無いことだ。神々が作った物だからこそ忌避は根深く、
炎王朝を建て、呪宝の収集と封印を一任したのもその為である。
 しかし宝の穢れは時が経つに連れて益々色濃くなり、そして炎王朝の
滅亡と共に、神々はとうとう呪宝から目を逸らした。

 永くの時が流れると嫌悪ばかりが高まり、意識は一層薄くなってゆく。
年若い者らの中には呪宝の存在を知らぬとは言わないまでも、どこか
絵空事に感じている者も多い。…だからこそ、妖怪となった窮奇(きゅうき)渾沌(こんとん)
だけが呪宝を追い続けてきたのは奇妙な話だ。その執念が並ではない
ことは、ふたりを一度でも追いかけた経験のある武神ならば、誰しもが
知っている。彼らの作りだす惨状には、常に異様な迄の気魄が漂って
いた。元が幼さ残す少年たちであることを考えれば、間違いなく犠牲的
であるにも拘わらず、それに気付くことなく一心不乱に追い求め続けて
きた執着。呪宝を手にした者たちは威力に依存し、溺れ、いずれ破滅を
迎えるが、窮奇と渾沌もまた呪宝に憑かれ、そして支配をされているの
だろう。

 二郎真君(じろうしんくん)は面映ゆい様子を見せると、真剣に陳謝の言葉を述べた。
初めて見る姿に窮奇は椅子から小さく飛び上がる。
「……べ、別に謝ること無いじゃん。それがオレらのやることなんだから。
それにあれだろ?みんな呪宝に触れないんだろ?」
「いや…、触れられない訳ではない。正直に言えば、単純に嫌悪感だ。
不安もある。お前たちの前で言うのも恥ずかしいことだが」
 (カン)は二郎神と同じく、言葉の最後に詫びを述べた。当然の如く呪宝に
携わってきた窮奇と渾沌からすれば、元より天を責める気持ちなど全く
無かったのだが、意に反して空気は重苦しくなる。
「神々と呪宝は、女性にとっての五通神(ごつうしん)みたいなものなのだろう」
「うん?」
「五通神の姿を見たり、指先で触れられた程度であれば、特に実害が
ある訳ではない。しかしそれすらも女性にとっては身震いするほど恐ろ
しいことであり、仙女や天女であれば耐えがたき穢れだ」
 渾沌の説明に、窮奇はなるほどねと頷いた。
「じゃ梅蘭(メイラン)は凄いな。渾沌の巻物も呪宝なのに、平気であれを掴んで
時々オレを追いたてたりするもんね」
「それはお前が菓子屋の前を巨体で占拠して動こうとしないからだろう」
 呆れたような渾沌の返しにようやく場が和んだ。(リー)は声を立てて笑い、
窮奇はここぞとばかりに五通神の話題へと切りかえた。
「何だって侍女を頼んだくらいで、二郎神までがここに来たんだろうって
思ってたんだけど、五通神のせいだったわけだ」
 烏飛(ウーフェイ)から五通神の一件で接見を求められた二郎神は、懸念したの
だろう。天に侵入できたのなら炎王朝に入り込むことは容易く、梅蘭は
傷が癒えてはいない。そこに窮奇から侍女を求める嘆願が届いたため、
ここで烏飛たちと落ちあうことになったのだ。
 肩の荷を下ろした二郎真君は、はにかんだ笑みを見せた。彼にしては
ひどく珍しい表情ではあったが、妹を案ずる兄の顔は柔らかで優しい。
「君たちがいるのだから心配はないとは思ってたんだがね。甘いことだと
笑ってくれて構わないよ」
「賢明な判断だと思う。呪宝は馬鹿が持つほど面倒臭いんだ。反動も
恐れずに無分別な使い方をするからさ」
 肩を竦める窮奇の言葉に、烏飛は額を抑えて溜息を吐いた。
「その通りですよ。だからこそ仙女様や天女様方にはなるべく出歩いて
いただきたくは無いのですが…」
 今、彼女らは常には無い行動力で、炎王朝に押し寄せている。何しろ
滅多に目にかかることのない顕聖(けんせい)七兄弟が一堂に会しているのだから、
無理も無かった。無論、彼女らとて五通神になど会いたく無いだろうが、
彼らが天に入り込んだ事は箝口令が敷かれている。捕縛に動いている
武神たちの杞憂は増すばかりだ。疲れた様子の烏飛を気の毒に思い、
(ヤオ)がその背を軽く叩く。
「でもね、ここには兄上がいて、我々梅山兄弟がいる。更に那咤(ナージャ)三太子、
(レイ)将軍。おまけに窮奇と渾沌。そして君、烏飛将軍だ。裏を返せば一番
安全じゃないの」
 確かに姚の言うことは的を得ていた。これだけの猛者を一度に相手に
するほど、五通神の肝は座っていないだろう。窮奇はぽん、と拳を掌に
打ち付けた。

「そうそう、それに何より梅蘭もいるし!」
「え」
「この中で一番強いよ」
「え」
「五通神くらい、小指でぽいっとやっつけると思う」
「えー…あ…、うん…」

 本気で顔を輝かせる窮奇に、姚は何とか生返事をしたが、とりあえず
そこから先に突っ込む者は誰ひとりとしていなかった。



「何かオレまずいこと言った?」
「いや、まずくはないけどさ。その通り〜とも、言えないでしょ」
 歩きながら話すのは、猫に変じた窮奇(きゅうき)(ヤオ)と言う珍しい組み合わせ。
簡単に言えば五通神の話題故、窮奇は放り出され、梅蘭に余計な事を
言わせない為に姚が付き添いを買って出たのだ。
 …とは言え、それは姚にとって半分本当だが、半分は自分の都合だ。
姚は普段中々お目にかかれない美しい仙女や天女が来ている広場を
覗いてみたかったのである。大人の都合も知らずに、窮奇は些か声を
落として呟いた。
「女の子が強いって恥ずかしいことなのかな」
「そんな事は無いけど、大抵の男は弱々しい女性が好きだし、大抵の
女の子は男の前で弱々しく見せようとするものだからね」
「姚も弱い女の子の方が好きなわけ?」
「嫌いじゃないね。そういう子は、こう、ぎゅっと守ってあげたくなるから」
 姚は梅山兄弟の中でも一風変わった姿をしている。肌は白磁の様に
白く、耳は尖り、細く切れ長の目に光る瞳は紅くて、口は小さい。何より
特筆すべきは、堅物の多い梅山兄弟の中にあって、女性が大好きだと
言うことだろう。
「あっ、節度がないわけじゃないからね。俺はいつでも真剣なんだから、
そこんとこ誤解しないように」
「えー…あ…、うん…」
 聞いてもいないのにさらさらと弁解し、しかもよく意味が解らなかった
窮奇が今度は姚に生返事をした。
 広場には卓が並べられ、色鮮やかな羽衣がそこかしこに靡いている。
艶やかな黒髪。涼やかな簪の音。ひらり舞う着物の裾。ちらりと見える
小さな足。いいねえと呟く姚を余所に、窮奇は梅蘭の姿を探して広場を
見まわした。男たちが座る卓もあったが、梅蘭を独占しているのは一際
華やかな天女たちが集う卓だ。梅蘭は穏やかな笑みを浮かべて相手を
しているが、どこか困っている風に見える。
「おぅや。ありゃ何か無理強いされてるみたいだなあ」
 姚にも同じように見えたらしい。姚はさっと外衣を翻すと一同へと足を
向け、そのあとを窮奇も無言で追いかけた。


梅蘭(メイラン)公主にはとても良い縁談だと思いますわ。顕頭(けんとう)大帝は家柄も良く、
秀麗な方ですもの」
「公主が大帝の元へ嫁がれれば、二郎真君はじめ、兄上様方はいたく
安心なさるでしょう」
「その通りですわね。公主が嫁がれない限り、兄上様は心配が過ぎて、
どなたも妻を娶れなくなってしまいますもの」
 …残念ながら天に住まうものが清廉で柔和で温厚篤実とは限らず、
寧ろ神々は少なからず酷薄で苛虐な性質を持ち、功名心が強い者も
少なくない。天女たちにとっては、二郎神や梅山兄弟の妻となることが
それだ。梅蘭はただただ、引き攣った笑みを浮かべるしかない。
「何時までも嫁ぎ先が決まらないのは恥ずべきこと。良きご縁があるの
ならぜひ嫁ぐべきですわ。でなければ、ほら…、あの方みたいになって
しまいますわよ」
 ひとりの天女が袖を口に当ててくすりと笑うと、隣の天女が面白そうに
手を叩いた。
「ひょっとして香霞(シャンシア)公主のことですの?」
 思わぬところでその名を聞いた梅蘭の顔から、さっと笑みが消えた。
「あの方、また縁談が上手くいかなかったとか」
「お相手を罵って断るばかりと噂が広まってますわ」
「その噂も本当かどうか。罵られたのはあの方の方かもしれませんわ。
何しろお高くていらっしゃいますもの」
「どんな立派な神女と言えど、殿方に嫁ぐこともできないなんてねえ」
 愉快そうに笑う天女たちの卓上で、ぴしりと何かがひび割れる音がし、
視線が集中した瞬間、全ての茶碗が割れて中の茶が飛び散った。顔や
着物が茶で汚れた天女たちは思わず悲鳴を上げる。
「たかがお茶程度で喧しいこと」
 梅蘭の一言に天女らの喧騒が瞬時に止んだ。声はそれほどまでに
冷やかだったのだ。
「良き家、良き相手に嫁ぐことだけを目的としているのならば、それは
随分と俗なこと。天や仙道に居られるのが甚だ可笑しゅうございます。
申し上げておきますが、わたくしは敬愛する兄たちにそんな方々だけは
娶っていただきたくないものですわ」
 窮奇と渾沌にも怯まず、そして煬祟(ヤンソイ)すら慄然とさせた梅蘭の怒気に、
天で安穏と暮らす天女たちが適うわけは無い。ある者は青褪め、ある
者はがたがたと震え出したが、梅蘭は挨拶すらせず背を向けるとその
場を後にした。残された天女たちは呆然とするしかない。

「おーやおや」
 天女たちが我に返れば、側に梅山兄弟三番目の姚が立っている。
「ヤ…、(ヤオ)将軍…」
「天女様方、妹が失礼を」
「あんまりですわ。我々は心から案じて申し上げましたのに……」
 小声で不満を訴えつつ、しかし目の前に目的の梅山兄弟のひとりが
いるとなっては、己の魅力を表現する機会でもある。うろたえる天女の
姿を見ながら、姚はまあまあと彼女たちを宥め賺す。そういう小狡さも
女性の可愛らしい魅力のひとつですけどね…と、呟くと、姚はひとりの
天女の手を取って己の袖で茶で濡れた肌を拭い、もうひとりの天女の
頬を撫で、別のひとりの髪を直し、最後のひとりの前で膝を付いた。

「瑞々しい新緑は美しい。だが無駄に繁らせれば、萌えいずる恋草も
ただの雑草となる」

 ぽかんとその様子を見ていた窮奇は、ここで我に返った。どことなく
軽薄な印象があった姚もやはり武神であり、そして二郎神の弟であり、
梅山兄弟の一員なのだ。なぜなら、

「私は貴女方が踏みつけられる姿を、出来れば見たくは無いのですよ。
だからこそ、陋劣な言葉は慎まなければね」

 甘い蜜のような物言いの裏には、きっちりと毒牙が含まれている。



蜜と毒
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| 三章 七色の追憶 | 23:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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七色の追憶 一の巻

 
 広場には卓と椅子が点々と並び、林には笑声が流れ、上空には濃い
瑞気が漂っている。顕頭大帝(けんとうたいてい)が去って一昼夜。(えん)王朝には、天からの
神々と仙境からの仙人たちが引きも切らずに訪れていた。
 最初は賓客に対し様々な配慮をしていた窮奇(きゅうき)渾沌(こんとん)だが、今は既に
辟易として身形を整えることも止めている。何故なら煬祟(ヤンソイ)を封じた梅蘭(メイラン)
らに感嘆し、また炎王朝の穢れが除かれたことに心よりの祝辞を伝えた
のは最初に訪れた太白金星(たいはくきんせい)を始めとする極々少数のみ。今ここに来て
いる連中は殆どが梅蘭との縁談を求める男らと、二郎神(じろうしん)梅山(ばいざん)兄弟に
想いを寄せる女たちなのだ。とどのつまり、窮奇と渾沌は完全に蚊帳の
外なのである。身形に気を使う必要は皆無だ。尤も梅蘭の黒髪を己の
白髪とした渾沌は、艶を持って美しく輝くそれが恥ずかしいのか、背には
垂らさず、きっちりと頭上にまとめ上げていた。

「暫く経てば陰気に馴染んで艶も消えるだろうが……」
「え、なんか言った?」
「いや」
 窮奇の問いに渾沌は小さな声で、憮然として応えた。宿営横の小さな
庭園では、十数人の男たちが卓に付いている。この庭までは訪問者は
立ち入ることは出来ないため、顔ぶれは昨日と同じ二郎神、梅山兄弟、
烏飛(ウーフェイ)那咤三太子(ナージャさんたいし)、そして窮奇と渾沌のみだ。(レイ)将軍は来賓の護衛に
当たり、梅蘭(メイラン)は侍女と共に来客に茶を出すことで忙しい。今頃男からは
熱心な褒め言葉を聞き、女からは兄らのことに関して探りを入れられて
いるに違いない。しかしそれも煬祟(ヤンソイ)顕頭大帝(けんとうたいてい)に比べれば、今更どうと
いうことはないだろう。窮奇は二郎神を中に、左右に座る烏飛と那咤の
会話に何気なく聞き耳を立てた。
「ふむ…、ざっと見るだけでも三十は超えているね」
「ひとつの屋敷に女性が一人だけと言うことはありえません。正妻、妾、
妙齢の娘、下女。人数だけならば百を超えているでしょう」
 …さて、一体何の話をしているのか。いつも穏やかな二郎神の声の
固さに興味を持った窮奇は、常々からの癖で、誰かに聞くと言う行動を
起こす前に、まずは自分の頭の中で考えを巡らせてみた。烏飛と那咤
三太子が尋ねてきたのは、昨日も話していた通り二郎神に会うためだ。
二郎神は地では河神、妖怪討伐、子供の守り神であり、天では司法を
預かっている。
(天の裁判なら二郎神が上に呼び出されるだろうから、これは除外)
 ならば残りは河、妖怪、子供。那咤三太子は若い姿ながら名立たる
武神。烏飛も一番の肩書は香霞(シャンシア)公主の側近ではあるが、やはり武神。
単純に考えれば河と子供も除外だろう。然し河に妖怪が巣食い、子を
攫う妖怪がいるのかもしれない。
(…でもやっぱ除外。河に立て篭もるような奴や、子供しか相手に出来
ないような妖怪如きでこの三神が動くわけがない。だから、やっぱ何か
とんでもない妖怪討伐の嘆願書が届いたんだろうな)
 そこまで考えて、窮奇は烏飛が話していた正妻、妾、娘、下女と言う
言葉を頭で反芻した。烏飛が仕る香霞公主は、高名な神女だ。人間の
女たちからの祈願は多いことだろう。
(……ちっ)
 急激に胃の腑から湧きあがる不快感。窮奇は眉間に深い皺を寄せた。
梅蘭と共にいる時の無邪気さは一瞬で消え去り、顔付きは大人びたと
言うよりもむしろ老けこんだ印象すら感じられる。

五通神(ごつうしん)

 はっきりと口にしたのは渾沌だ。しまったと二郎神が僅かでも顔色を
変えたのは、これが初めてのこと。梅山兄弟、特に(カン)(チャン)は明らかに
失態を後悔する顔を表した。


 五通神とは五体の神のことである。その正体は馬や豚、鳥、亀等で、
つまりは獣なのだが、五通の通とは異性に関係すると言う意味であり、
神とは名ばかりの淫神(いんしん)だ。しかし五体全ての神が、一人の女に群がる
ことはない。一家に一体の淫神が狙いを定めると、時に偉丈夫、時に
美丈夫に化け、風の如く女の元へ現れる。扉も錠前も意味は無さず、
抗うことも、祓うこともできぬ恐ろしい淫神に、家中の女が片っ端から
手込めにされる事態も珍しくない。またその行為は凄惨を極め、憑か
れた女は都度血に塗れて意識を失い、暫くの間、床に就くことなる。
そして本復すると、待ちかねたとばかりに再び淫神がやってくるのだ。
数か月もすれば女は疲労と恐怖、絶望で骨と皮だけになり、死に至る。
夫や父親、家族は涙を飲むより他に無く、しかも更なる性質の悪さは
女が屈辱に耐えかねて首を括ろうとすれば紐が切れ、刃物を持てば
腐り落ち、毒は薬となって効き目をなさなくなるのだ。その様に残忍な
者共の一体どこが神なのだと問いたくもなるが、しかしながら南の地
では五聖(ごせい)五顕霊公(ごけんれいこう)と呼ばれ、祀られることも多かったため、淫獣で
ありながら彼らは神の部の末端に属していた。
 だが、今や妖怪である窮奇(きゅうき)渾沌(こんとん)には神に対する恐れも遠慮も無い。
ふたりが尤も忌み嫌う盗賊は物を盗み、命を踏みつけ、そして女の心と
身体を汚す輩どもだ。そして二郎神もまた、潔癖な神としてその部類の
者を嫌悪する。つまり女たちから救いを求められた香霞(シャンシア)公主が五通神
討伐を烏飛(ウーフェイ)に命じ、更に二郎神にも助力を願ったと言うところだろう。
「…でも、那咤(ナージャ)三太子は何で?」
 険しい表情を消した窮奇は不思議そうに尋ねた。那咤三太子も名立
たる妖怪退治の名手ではあるが、淫神の討伐祈願を受けるとは思えな
かったからだ。
「あ…、ああ、私は玉帝(きょくてい)からの命を受けまして」
「淫神の討伐を那咤三太子に?他にもっと適任者いるんじゃないの?」
 窮奇の言わんとしていること、つまり窮奇なりに気遣ってくれたことを
悟った那咤太子は、一瞬だけ見たままの少年らしい笑みと、気恥ずか
しさを表したものの、すぐに表情を引き締めた。
「実は淫神は地上のみならず、仙境や天にも忍びこんだのです。色界(しきかい)
鋤樹力士(じょじゅりきし)の屋敷に入り、下女に大声を出され、すぐに逃走したのですが」
「色界って梅蘭が…、梅蘭の屋敷や本体の梅の木があるところだろ…。
まさか、力士って」
「ええ、梅蘭公主の屋敷と庭を管理している力士です」

 これには窮奇と渾沌も仰天した。淫神と言えど神、しかし神と言えど
獣あがりの妖仙である。手ごわい連中ではあるが、それは女を人質に
取っているが故。何代目か前の五通神(ひとり欠ければ、ひとり増える
のだ)の中には、豪傑の武人は元より、没落士族の男に石で殴られた
程度で退治されたものも存在する。清浄なる仙境や、ましてや天界に
など入っていけるほどの神力は持っていない筈だ。(カン)は腕を組むと、
いつもの厳めしい顔つきで唸りを上げた。
「それがどうしてか入ることが出来た。…色界の中に目的があったのか、
更に上天へ昇ろうとしたのか。何にせよ、天界の目出度さを穢す行為だ。
玉帝はひどくお怒りだろう」
「雲に乗る力があれば、誰しも天に近づくことは不可能ではありません。
しかし天界の防御が並ではないことは周知の事実です。なぜ入ることが
出来たのか、皆目見当がつかないのです」
 那咤三太子の返答に、渾沌が第一の可能性を質疑する。
「……監視の天兵や、門番らが目を離した可能性は」
「全て調べましたが、持ち場を離れた兵はひとりもおりませんでした」
 嫌な空気が卓を囲む男たちの間に広がった。それはつまり天兵らの
目を掻い潜れるほどの力を、五通神が付けたと言うことになる。

「でも、他の可能性が無いわけじゃないよな」

 ふいに窮奇が口を挟んだ。其々の顔に憶測が浮かぶ。それは決して
良い可能性ではない。歯に衣着せぬ渾沌の口が僅かに開くと二郎神と
張以外の者は無意識に身じろいだ。
「自分の力ではなく、助けを借りることもあるだろう」
「いっ…、いやいや、待てよ! そんなら天界に五通神を手引きした者が
いるってことになっちまう」
 普段は陽気な(リー)も、さすがに顔を引き攣らせている。それはあっては
ならぬことであり、もしあったとしたら揉み消さなければならぬほどの。
ところが李の慌てぶりに反して、窮奇はきょとんとした。一度だけ渾沌の
方を見て再び一向に向き直り、皿に盛られた菓子をひとつ、手に取った。

「助けを借りるのが、"誰か"とは限らないじゃん」
「え……」
「"誰か"じゃなく、"何か"だったら? 例えば……、呪宝とかさ」

 永く、永く、それを、それだけを追い求めてきた紅と白の妖獣の瞳が、
恐ろしげに煌めいた。



呪いの宝
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| 三章 七色の追憶 | 23:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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七色の綱渡り 九の巻

 
 その行為を、一体誰に止めることが出来ただろう。
 梅蘭(メイラン)の行動には針の先ほどのためらいも無く、
 天が地に落ちる程の意表を付き、
 また並居る神々と妖怪が一歩も動けないほど一瞬だった。


「嘘だろ…」


 唖然とした窮奇(きゅうき)の声以外、時が止まったようだ。顕頭大帝(けんとうたいてい)に至っては
今度こそ完全に度肝を、否、魂すら抜かれてしまったようで、ぴくりとも
動かない。梅蘭は固まったままの男の顔を見ることも無く背を向けると、
やはりこちらも唖然としている白髪の妖怪に声を掛けた。
渾沌(こんとん)、後ろを向いて」
 突然声を掛けられた渾沌は彼女の言っていることの意味がわからず、
僅かに口を動かしたが、何も言葉が出てこない。目の前にいるであろう
小さな、然し恐ろしく大きな存在である天女の姿は、今どうなっているの
だろう。触れれば見える。触れずとも風を使えば大まかな形だけは悟る
ことが出来る。だがそのどちらにも、渾沌は一歩を踏み出せなかった。
正直に言えば、渾沌も顕頭大帝と同じようにこの事態に度肝を抜かれ、
また恐れていたのだ。
「梅蘭、一体…」
「いいから早く後ろを向いて頂戴」
 小さな手が触れた瞬間に光が戻ったものの、眩さに目を細めて姿を
確認する前に腕を押され、背を向ける形になる。梅蘭は自分の黒髪を
握る手を僅かに緩め、渾沌の後頭部へ向けて仙気と共に吹き付けた。
黒い絹糸はふわりと空に舞うと、渾沌の白髪の裾に蔦のように柔らかく
絡み、そして己の色を白く変化させた。
「何を…!」
「強力な宝で切られた髪はこうでもしないと中々戻らなかったでしょう。
新芽を髪にしても長くは持たないし、元通りにするにはこれが一番よ」
「たかがそんなこ」
 そんなことで己の髪を切ったのかと、振り向き様に声を荒げようとした
渾沌の目前に、梅蘭は掌を差し出した。靡いた白髪の裾が未だ梅蘭の
指に絡んでいるために見ることが出来た顔つきは、酷く、厳しい。

『たかが妖怪の髪を元に戻すために、天女が髪を切ったのか』

 叫ぼうとした言葉が喉の奥にするりと消えていく。そう言ってしまえば
梅蘭の心遣いや、誇りを否定することになるだろう。何より顕頭大帝と
同類と思われるのは渾沌とて心外には違いなかった。渾沌の顔付きに
諦めが漂ったのを見て梅蘭は苦笑し、そして再び男の方へ振り返る。
「顕頭大帝」
 静かに呼びかけたが、返事は無い。梅蘭も彼が返事をするまで待つ
つもりは無かった。
「顕頭大帝、如何ですか?渾沌は天女の一部を新たな髪と致しました。
これできちんと結い上げれば、問題は無いでしょう」
「……は、そ、それは…もう……、何も…」
「良うございました。やはり無作法なざんばら髪などで傑出であられる
大帝の御前に出るなど、あってはならぬことでしたわ」
「そ…、そうでしょう!私は間違っては…!」


 顕頭大帝(けんとうたいてい)は急に欣喜雀躍として顔を上げ、そして、とうとう打ちのめ
されることとなった。目の前にいるのは正にざんばら髪で無作法な姿と
なった梅蘭(メイラン)だったのだから。髪を切るところを見ていると言うのに、何故
梅蘭の真意が解らないのだろう。(リー)はぺちりと音を立てて顔を掌で覆い、
一同も各々呆れ果てる以外にない。
 梅蘭は別に嫌味を言った訳ではなかった。元々の性根は深い慈悲に
溢れ、子供っぽさを備えた相手は窮奇(きゅうき)で十分に慣れている。だからこそ
顕頭大帝の事も奇妙な御仁だとは思いつつ、根は悪気なく、子供がその
まま大人になったのだと理解していたし、縁付くことに拒否もしなかった。
梅蘭が言った言葉の意味を顕頭大帝がしっかりと理解し、悪かったのは
こちらであり、髪や過去で判断したことを悔やむ姿を見せてくれていれば、
全ては変わっていただろう。しかし顕頭大帝は応えられなかった。
「………貴方は変わることが出来ないのですね。残念です」
 散々人間を殺めてきた窮奇と渾沌は変わることが出来たと言うのに、
由緒正しき神々の子として生まれた顕頭大帝は変わることが出来ない
とは何と皮肉なことだろう。そこにあるのは最早怒りではなく、粗忽者に
向ける憐れみだ。
 その後、顕頭大帝はしょぼくれた姿ですごすごと天へ戻って行ったが、
結局、己の剣を受け取ろうとはしなかった。元の大きさに戻した豪奢な
武器は卓上に置かれ、立ちあがった一同が囲んでいる。剣を持ち上げ、
烏飛(ウーフェイ)はぽつりと呟いた。
「あそこまで強情なのは、褒めるべきなのでしょうか」
「…私には理解できませんよ」
 不愉快そうな顔をしている那咤(ナージャ)に、二郎神(じろうしん)は苦笑した。三太子も昔は
それなりにやんちゃではあったが、彼は差別を何よりも嫌っているのだ。
とりあえず落ちつこうと皆に椅子を勧め、新しい茶を用意させるために、
下女を呼ぶ。程なくして宿営の扉が開き、(カン)が連れてきた二人の娘が
恭しく現れた。




「ふざけんなよ!」
 驚いた娘が捧げ持っていた茶器取り落とし、石畳の地面に当たって
粉々になる。怒鳴ったのは窮奇だった。二郎神らが集う円卓のすぐ横、
梅蘭を見下ろす窮奇は元々吊り上がり気味の目を更に吊り上げ、固く
握った手には血管が浮き、口元から見える四本の大きな牙は、今にも
噛みつかんばかりだ。御機嫌を取ろうと(ヤオ)が菓子を進めるが、さしもの
窮奇も今度ばかりは釣られはしない。ぎっと梅山(ばいざん)兄弟らを睨みつけると、
更に大声を上げた。
「呑気に茶なんて飲んでる場合じゃないだろ!髪切るなんて、最悪だ!
無茶苦茶だよ!しかも康も二郎神も、全然梅蘭のこと怒らないし!」
 矛先を向けられた康は、ぎょっとして顔を引き攣らせた。窮奇の怒りは
尤もだ。自ら髪を切るなど不吉にも程がある。しかも二郎神の目の前で。
…と、そこまで考えて、康は密かに驚いた。愚かな妹を愚かとも思わず、
寧ろ誇らしげに思っていることに気付いたからだ。こんな若造のような、
熱い気持ちをまだ持ってたのかと思うと、何やら愉快になってくる。そこに
あっけらかんとした妹の声が加わった。
「切っちゃったものは仕方ないでしょ」
「仕方ないってなんだよ!それ天の武器使って切り取ったから、すぐに
元に戻せないんだろ!」
「ああ…そうね。でも平気よ」
「何が?何が、どこが平気だっての?」
「梅の枝は伸びるのが早いから、髪もきっとすぐに伸びるわ」
 窮奇はもう、声すら出なかった。ぶるぶると身体を小刻みに震わせて
いる後ろで、下女の娘たちは固唾を飲んでいる。姿形だけならば大柄な
紅髪の妖怪だ。きっと恐ろしいのだろう。しかし窮奇の本性を知っている
梅蘭には何のことは無い。窮奇は涙目で半べそをかき、震えているのだ。

「だから止めろって言ったのに!あいつに綱渡りどうこう言ってたけど、
梅蘭のやることの方がよっぽど綱渡りだよ! 」
 どかどかと地面を踏みならし、ひとり宿営に帰っていく。完全にへそを
曲げてしまったらしい。こうなるとしばらく放っておくのが一番だ。梅蘭は
少し歩いてその場にしゃがみ込むと下女が落とした茶碗の欠片を拾った。
「公主様、それは私どもが!」
「いいのよ。ごめんなさい。驚かせてしまって」
 怖かったでしょう、でも…と、弁解しようとすると、二人の娘の片方が
おずおずと首を振った。茶器を割った方の娘だ。大きな目の、綺麗な
顔立ちの娘は僅かに、いや、確かに頬を赤らめている。この顔付きは、
つい先日も見たことがあった。
「…わたくしは、あの方が悪い者ではないと承知しております」
 桃色の頬、熱を湛えた瞳。梅蘭の背に嫌な汗が一粒浮き上がる。
「貴女…、どこかで会ったこと……ある?」
 梅蘭の言葉に、娘は嬉しそうに顔を輝かせた。
「覚えて下さってるのですか?私はあの紅白の髪の殿方達と公主様に
救われました。海の側の盗賊らの隠れ家に囚われておりました娘です」
 何と、思わぬ再会だろうか。梅蘭が初めて窮奇と渾沌に出会ったとき、
逃げろと言う梅蘭に何かを伝えようとしたあの娘に間違いない。
 そして確信する。この娘の窮奇を見る目は七仙女たちと同じなのだ。
(ああ、また綱渡りの恋がひとつ増えたわ…)
 梅蘭は先に起こるであろう騒動と問題を危惧して、頭を抱え込んだ。


「あまり、無理を言ってやるな」
 皆が座る円卓から死角になったところで、渾沌が窮奇に声を掛けた。
尤も渾沌とて梅蘭が髪を切ったことに賛成はしていないし、窮奇が腹を
立てている理由も理解している。
「…わかってるよ」
 窮奇も同じだ。梅蘭が怒りを見せ、髪を切ったのは引いては炎王朝を
思ってのことで、元の髪の長さに戻った従兄を疎ましく思うつもりもない。
ただ、
「ただ…」
 そこで言葉を切り、窮奇は盛大な溜息を吐いた。
「オレ疲れた。ちょっと寝る。それからお前の髪、自分じゃよくわかんない
だろうけど」
「何だ」
 窮奇は若干うんざりした顔で渾沌の白髪を見る。
 元々はくすんだ陰鬱とした白。それが
「前と違って、つやっつやだよ。まるで天女の羽衣みたいにさ」



羽衣の白髪
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| 二章 七色の綱渡り | 22:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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七色の綱渡り 八の巻

 
 窮奇(きゅうき)は蓋碗を卓上に置くと、身を乗り出した。梅蘭(メイラン)の技量を見縊って
いるのではない。最近では事によると、最凶の妖怪と呼ばれた自分で
すら、本気になった梅蘭には適わないのではないかと思うことがある。

 顕頭大帝(けんとうたいてい)は武神としてそれなりに腕は立つが、二郎真君(じろうしんくん)の御前で
梅蘭に本気で立ち向かえるわけも無く、また精神に薄弱な部分がある
のは間違いない。あれほどまでに激昂している意思を向けられれば
既に戦意など喪失しているはずだ。
 だが、梅蘭の方はそうはいかない。渾沌(こんとん)に対し平身低頭で陳謝でも
しない限り、戦意を無くしたぐらいで許すことはできないだろう。本性が
持つ本能の通り、己の身に無頓着な分、他者を護る神としての意識は
格段に高いのが梅蘭と言う名の天女なのだ。だから窮奇は梅蘭に身に
ふりかかる危険を案じている訳ではない。梅蘭が自ら選ぶ危険を危惧
しているのだ。
「やばいよ、止めさせないと」
 動揺しているのか、窮奇はらしからぬ緩慢とした動きで、一歩を踏み
出した。ところがぐいと腕を掴まれ、両肩を抑えられると椅子にぺたりと
押し付けられた。一瞬事態が呑み込めないまでも、顔を上げれば己の
肩を押さえた(リー)がにやりと笑っている。
「まあまあ、いいじゃないの」
「何言ってんの、止めなきゃ! ていうか何でお前らが止めないの?」
 顕頭大帝に見せていた余裕は一体どこに行ったのか、慌てた様子を
見せる窮奇に妖怪の片鱗は無く、まるで大人の喧嘩に戸惑う子供その
ものだ。(レイ)将軍が心配げな顔でこちらを見ているが、一番立場が下の
彼に何が出来ると言う訳ではない。窮奇は慌てて隣に座る那咤(ナタ)太子や
烏飛(ウーフェイ)に視線で助けを求めるが、こちらも動揺の色が顔に表れている。
尤も彼らの場合、梅蘭を止める云々より兄である梅山兄弟らの意向に
反することはできないと言う意味だろう。
 李が菓子鉢の上で指を鳴らすと減っていた菓子が再び山と積まれる。
その間に(ヤオ)が蓋碗に新しい茶を注いで窮奇の前に差しだしながら、短く
口笛を吹いた。
「我が妹ながら怒った顔もいいなあ。凛として」
「剣の扱い方は中々堂に入ってますね」
 冷静に太刀筋を見ているのは(チャン)だ。相変わらずの美麗な微笑には
明らかな邪険さを含み、その向こうでは普段は生真面目な(カン)までもが
妹の暴走を平然と見ながら、末弟二人を相手に意見を述べ合っている。
「ふむ。私は読み書きを教え、郭申(クオシェン)、お前は舞踊を教えた。剣術を習わ
せた覚えはないのだが…、確かに中々の腕だな」
「剣術はなくとも、剣舞は多少なりと教えておりますので」
「俺はあの子を背負いながら、よく武器を磨いてた…」
 滅多に喋らない直健(チーチェン)の珍しい一言ですら、今はどうでもいいことだ。

「もう、何なんだよ!どうなってもオレ知らないからな!」

 とうとう癇癪を爆発させた窮奇はどうにでもなれとばかりに菓子を掴み、
口の中へ放り込んだ。



「どうしたんです? 満足行くようにお相手致しますから、どうぞお立ち
下さいな」
 梅の化身である梅蘭(メイラン)は絶世の美貌の持ち主ではないが、ころころと
した丸い蕾や、花弁のような愛らしさがある。華を散らせた後の果実は
やはり丸く、桃果に似た香りを放ち、茶菓子にもなれば生薬ともなって、
毒々しさは全く見当たらない。しかし、顕頭大帝(けんとうたいてい)は知らないのだ。青い
果実の種の内側には、死をももたらす毒が含まれていることを。
 それはまさに今、梅蘭が醸し出している雰囲気を表している。
「ご…、御冗談を…、その、公主…私は……」
「冗談などではありませんわ。貴方が何故、私に御縁を望まれたかは
存じ上げませんが、そこには何らかの事由が合った事でしょう。ならば
私にも貴方を知り、見極める為の権利と言うものがあってもよろしいの
ではありませんか?」
 それがこの手合わせ…と梅蘭は微笑んだ。最終的に煬祟(ヤンソイ)を圧倒した
天女の威圧感は並みではない。顕頭大帝は尻餅をついたままごくりと
喉を鳴らした。彼は気付いていない。いつの間にか雨が止んでいる事を。
空には明るさが戻り始め、飛沫を上げていた地面が見る間に乾いていく。
天女の放つ陽の気が、渾沌の陰の気を消し飛ばしたのだ。
 梅蘭は地面に突き刺していた剣を引き抜くと逆手のまま水平に持ち
上げ、顕頭大帝に突き出した。
「さあ、お取り下さい。二郎真君が待ちくたびれていらっしゃいますよ」
 雲の合間から光の柱が炎王朝へと注がれ、天女の姿を照らし出す。
こうなっては、簡単に逃げられるものではない。顕頭大帝は情けない
顔で梅山兄弟らを見回したが、彼らは澄ました顔で成り行きを見守る
ばかり。最後の望みと振り返った先にいる二郎真君を見やれば、彼は
足を組み、腰を曲げ、頬杖を付いている。そして極上の笑みで「続きを
どうぞ」と軽く掌を差し出した。珍しく尊大な態度だが、さすがに憤然と
しているのだろう。

 のろのろと立ち上がった顕頭大帝は、震える手を差しだした。霊符を
避け損ねた着物の一部は焼け焦げ、穴が開き、右手の甲には火傷が
ある。指を曲げると傷みが走るのか、隠すことなく顔をしかめ、それが
梅蘭の心を尚の事苛立たせた。窮奇も渾沌も元々は極普通の黒髪だ。
煬祟の悪行によって窮奇の髪は血の色に染まり、渾沌は絶望を映して
白髪となった。父を、母を、家族を、国を亡くした悲しみの色。それをこの
男は穢れと言った。彼らの死に様の凄まじさに比べ、この程度の火傷が
一体何だと言うのだ。一向に剣を取ろうとしない男に対し、梅蘭の気は
徐々に熱を帯びてくる。とうとう見かねた渾沌が、梅蘭に近づいた。
「渾沌は黙っていて」
 振り向きもせず、断然たる態度を示した梅蘭に、渾沌は小さく溜息を
吐いた。穢らわしい、不吉だと言われることは、己にとって最早自然に
すら感じられるのだが、梅蘭には断じて引けぬ事なのだろう。こういった
頑固さは康にそっくりだ。
「握れませんか」
 もう一度。梅蘭はもう一度だけ、静かに聞いた。触れれば己が化物に
なるとでも思っているのだろうか。その了見の方がよほど穢れていると、
何故解らないのだろう。
「顕頭大帝」
「…、は…」

「粗雑な綱渡りのような振舞いばかりでは、いずれ身を滅ぼします」

 梅蘭は刀印を結ぶと呪いを唱え、顕頭大帝が受け取らぬ剣を小刀へと
変化させた。

「ふらふらと考えなしに足を出すだけでは、落ちるのが関の山」

 ざり、と妙な音がすると、事は一瞬だった。
 窮奇が立ちあがった勢いで椅子が倒れ、喧しい音を立てる。
 梅蘭の左手に握られているのは、

「ですから、覚悟を決めて真剣に向って参られませ」

 切り取られた天女の黒髪は輝きを放ち、ゆっくりと風に靡いていた。



黒い束
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| 二章 七色の綱渡り | 23:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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